宗派 真言宗豊山派
本尊 十一面観世音菩薩
ご詠歌 ひとふしに 千代をこめたる 佐竹寺 かすみがくれに 身ゆるむらまつ
313-0049 常陸太田市天神林町2404
さて、お昼時になりました。
とりあえず、さっさとすぐに済ませたいので、
水戸市内のファミレスを選び、
すぐに出てくるであろうカレーとドリアを注文するも、
なんと入店から50分、オーダーから45分、
なんの音沙汰もありません。
持ち前の"気の短さ"も、そこは観音巡礼中。
努めて冷静に我慢しておりましたが、
もし確認して、オーダー漏れだったならば、
黙って店を出ようと決めていた数秒前に、
笑顔のウエイトレスさんが、
カレーとドリアを持って「お待たせした♪」と登場・・・。
なんとも拍子抜けしてしまい、
黙ってすぐに食べ終えて、レジを済ますと、
一万円のおつりに対して、あれま、千円足りません・・・。
おいおい、コ●ス、いい加減にせいや。
あやうく大損するところでした・・・。
(すみません、これも修行ですね。)
さて水戸ICより、常磐道を北上し、
日立太田南ICを目指します。
インターからはひたすら国道293号線を西に向かい、
常陸太田駅を越え、目指すお寺に到着です。
佐竹寺正面には、この瓦葺の、
昭和十五年(1940)再建という仁王門。
ただし仁王尊は宝永年間(1704〜1710)の製作です。
さてここにはこの「扇に月」の家紋、
俗に"日の丸絵紋の軍扇"が掲げられている通り、
こちらは元々この地方の豪族だった佐竹氏の祈願寺です。
ご本尊は伝・聖徳太子作で、
花山法皇が護持していたという十一面観音。
この法皇の勅願で、元密上人が創建したとされるのが、
こちらの寺伝による起源です。
佐竹氏初代・佐竹昌義が寺領を寄進。
戦国末期には大寺となるものの、
反徳川方だった佐竹氏は、
関が原の戦いの後、秋田に国替となり、
佐竹寺も衰退してしまったとか。
しかし延享年間(1744〜1748)に、
この坂東札所に加わって、
今に至ったという訳です。
とにかくその豪壮さに目を奪われる国指定重文の大唐破風の本堂。
天文十五年(1546)に佐竹義昭が再建したものです。
・・・これがとにかく凄い。
桃山建築の様式美というやつが、余すことなく伝わってきます。
ここにもやはり当然、佐竹氏家紋「扇に月」、
日の丸絵紋の軍扇がありました。
本堂内をF2.0で覗かせて戴きました。
肉眼では暗く見えないこの壇が拝せて大満足。
禅宗様式でもあるこの円窓・火頭窓より、
本堂外陣を拝します。
これがとても美しい・・・。
・・・参りました。
さてさて遂に、
坂東三十三ヶ所観音霊場札所も残り一箇所のみとなりました。
あとは結願の千葉県館山市の那古寺です。
板東札所、発願から五年余り、
初の"完全・般若心経・写経納経"のメジャー巡礼となりそうです。
さて、いつ館山にお参りしようか。
楽しみ、楽しみ。
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