【坂東第二十二番】妙福山 明音院 佐竹寺 

宗派 真言宗豊山派
本尊 十一面観世音菩薩
ご詠歌 ひとふしに 千代をこめたる 佐竹寺 かすみがくれに 身ゆるむらまつ
313-0049 常陸太田市天神林町2404




さて、お昼時になりました。
とりあえず、さっさとすぐに済ませたいので、
水戸市内のファミレスを選び、
すぐに出てくるであろうカレーとドリアを注文するも、
なんと入店から50分、オーダーから45分、
なんの音沙汰もありません。
持ち前の"気の短さ"も、そこは観音巡礼中。
努めて冷静に我慢しておりましたが、
もし確認して、オーダー漏れだったならば、
黙って店を出ようと決めていた数秒前に、
笑顔のウエイトレスさんが、
カレーとドリアを持って「お待たせした♪」と登場・・・。
なんとも拍子抜けしてしまい、
黙ってすぐに食べ終えて、レジを済ますと、
一万円のおつりに対して、あれま、千円足りません・・・。
おいおい、コ●ス、いい加減にせいや
あやうく大損するところでした・・・。
(すみません、これも修行ですね。)



さて水戸ICより、常磐道を北上し、
日立太田南ICを目指します。
インターからはひたすら国道293号線を西に向かい、
常陸太田駅を越え、目指すお寺に到着です。





仁王門
吽形(左)  阿形(右)
仁王門に掲げられた日の丸絵紋の佐竹氏の軍扇




佐竹寺正面には、この瓦葺の、
昭和十五年(1940)再建という仁王門。
ただし仁王尊は宝永年間(1704〜1710)の製作です。
さてここにはこの「扇に月」の家紋、
俗に"日の丸絵紋の軍扇"が掲げられている通り、
こちらは元々この地方の豪族だった佐竹氏の祈願寺です。
ご本尊は伝・聖徳太子作で、
花山法皇が護持していたという十一面観音。
この法皇の勅願で、元密上人が創建したとされるのが、
こちらの寺伝による起源です。
佐竹氏初代・佐竹昌義が寺領を寄進。
戦国末期には大寺となるものの、
反徳川方だった佐竹氏は、
関が原の戦いの後、秋田に国替となり、
佐竹寺も衰退してしまったとか。
しかし延享年間(1744〜1748)に、
この坂東札所に加わって、
今に至ったという訳です。




国指定重文の大唐破風の本堂




とにかくその豪壮さに目を奪われる国指定重文の大唐破風の本堂。
天文十五年(1546)に佐竹義昭が再建したものです。
・・・これがとにかく凄い。
桃山建築の様式美というやつが、余すことなく伝わってきます。




本堂に掲げられた日の丸絵紋の佐竹氏の軍扇




ここにもやはり当然、佐竹氏家紋「扇に月」、
日の丸絵紋の軍扇がありました。




本堂内




本堂内をF2.0で覗かせて戴きました。
肉眼では暗く見えないこの壇が拝せて大満足。




円窓より本堂外陣をみる




禅宗様式でもあるこの円窓・火頭窓より、
本堂外陣を拝します。
これがとても美しい・・・。
・・・参りました。





本堂前の銅造聖観音



さてさて遂に、
坂東三十三ヶ所音霊場札所も残り一箇所のみとなりました。
あとは結願の千葉県館山市那古寺です。
板東札所、発願から五年余り、
初の"完全・般若心経・写経納経"のメジャー巡礼となりそうです。
さて、いつ館山にお参りしようか。
楽しみ、楽しみ。




第二十二番 朱印




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