国宝・国指定史跡 松本城
会館時間 8:30〜17:00(入館16:30迄)
休館日 年末年始 他 臨時休館あり
観覧料 共通券 大人610円・小中学生300円
390-0873 松本市丸の内4-1
公式サイト http://www.matsumoto-castle.jp/
さて母と息子らのリクエストで、
天守閣が国宝として現存する、
松本城のある松本城公園にやって参りました。
私もここに来たのはおそらく二十年近くのご無沙汰のこと。
黒門をくぐり、本丸のあった跡から、
国宝の天守閣を望みます。
さてこの城が俗に「烏城」と呼ばれるほど黒いのは、
豊臣秀吉時代の大坂城を模したそうで、
石川数正の秀吉への忠誠心の証とか。
天守閣入口で靴を脱ぎ、
さて天守閣内に入ります。
さて日本に現存する天守閣はわずかに十二。
国宝はここ松本城と、
犬山城、彦根城、姫路城の四つのみ。
小笠原氏築城、
天正十八年(1590)小田原征伐の後に、
石川数正が入城して、
天守閣、城郭を整備しました。
数正の子、石川康長が改易となり、
小笠原秀政が再入城。
その後は松平康長や松平直政、
堀田正盛、水野家、
また松平康長にはじまる戸田松平家が、
代々松本藩の居城としました。
享保十二年(1727)には本丸御殿が焼失し、
以後は二の丸での藩政の執務が行われたそうです。
他の現存天守の城と同様、
一度も戦乱の舞台にはなっておりませんが、
さすがは戦国時代に築城された松本城。
現在の城内の展示は、
鉄砲類や鎧兜、船載砲(城塞砲)など、
やはり武器が中心となった内容です。
入母屋破風の内側から、
この城が現存する奇跡を振り返り、
悠久の歴史に想いを馳せます。
明治維新後、明治五年(1872)、
天守は競売にかけられて、
一時は解体の危機を迎えますが、
地元の有力者の尽力により、
買いもどされて難を逃れました。
明治時代後期には天守が大きく傾いたものの、
やはり地元の有力者の尽力により、
天主保存会が設立されて、
その「明治の大修理」によって蘇り、
その後も幾多の修理を経て今に至ります。
急な天守の階段をよじ登る、
母と息子二人とワタシ。
天守四階には有事の際の藩主の在所となる、
御座所が御簾の前に復元されあります。
天守最上階の六階からの景色は、
四百余年を経ても変わらず美しい絶景かな絶景かな。
小屋梁の上に祀られる二十六夜社の札に一礼し、
梁に飾られた天主が傾く寸前の明治の古写真を見た後に、
天守閣の下に降りて、
現代の下界に舞い戻りました。
本丸跡北西の端、理橋のすぐ近くに、
大きなシダレザクラの巨木があり、
これが加藤清正が江戸からの帰りに立ち寄った際、
城主石川康長が清正に馬を差し上げた時に、
その駒をつないだ木という伝承が残ります。
他にもこんな大きなケヤキがあったりして、
今もこの松本城が現存する奇跡。
保存に携わった、
過去の偉人達に対する感謝が止みません。。。
まさに国の宝であり、
世界に誇るべき日本の文化の遺産です。
さて、天守閣と共通の観覧券は、
同じ松本城公園内にある松本市立博物館。
写真撮影がフラッシュなしならほとんどOKで、
この石川康長念持仏、市内の十王堂の諸仏など、
かなり自由に拝観出来てとても嬉しい。
弾丸で穴のあいた鎧は、
ここ松本城に戦乱の歴史がないもので、
おそらく銃砲の試し撃ちに使われたものでしょう。
産業革命以降の蒸気ポンプや、
古代からの男根・男性器信仰など、
松本市の歴史を幅広く展示しており、
かなり興味深い内容の博物館でした。
ただ、二階で行われていた特別展、
松代焼展は正直あまり興味がなくて、
そそくさスルーしてスンマソン。
さて、松本城を後にします。
今回の一泊二日では、
長野県にある国宝建築物の五つの内の四つ、
・・・に、訪問して、
とても盛りだくさんの内容となりました。
サービスエリアから諏訪湖にご挨拶をして、
さらば信州、さらば長野。
大渋滞の中央道に突撃しました。
帰り道は六時間近くかかって、
クタクタで習志野に帰宅した次第です。