宗派 華厳宗
本尊 薬師如来
630-8301 奈良市高畑町1352
公式サイト http://www.shinyakushiji.or.jp/
春日大社の境内を南側に抜けまして、
「イノシシ注意」の古道から、
急に雰囲気のある町並みに出ました。
新薬師寺の重文・東門に辿り着きましたが、
こちらは現在は閉じたままになっているようです。
ぐるりと回り、重文・南門より境内へ。
ようやく到着しました新薬師寺です。
実は薬師寺とは関係がありません。
天平十九年(747)聖武天皇の病気平癒祈願の為、
光明皇后が創建したと伝わりますが、
実は正史にその記載がなく、
別名に「香山薬師寺」や「香楽寺」、
また「香山寺」や「香山堂」などなど、
多くの伝承や諸説があり、
その正確な創建は不明のままです。
創建時の新薬師寺は、
七堂伽藍が建ち並ぶ大寺院で、
現在の奈良教育大学もその境内の一部。
本堂である金堂跡も、
その構内に発掘されたそうですが、
次第に衰退してしまいます。
宝亀十一年(780)の落雷で、
西塔やいくつかの堂宇が焼失。
応和二年(962)の台風で、
金堂以下の主要堂宇が倒壊。
現在のこの国宝の本堂は、
奈良時代の建築ではあるものの、
本来は金堂ではなく密教的修法が行われた、
「壇所」の転用であるという説が有力です。
堂内の中央に大型の円形仏壇を設置することを、
あらかじめ想定して設計されたもののようで、
ここのセンターには国宝・木造薬師如来坐像。
平安時代初期の制作で、光背に六体の化仏があり、
本尊と合わせて七薬師を構成しています。
そして本尊の周りを固める、
国宝・塑造十二神将立像。
奈良時代に造られた塑像の大傑作。
東大寺戒壇院の四天王像と比較すると、
あちらは「静」こちらは「動」といった印象。
十二躯のうちの一躯、
宮毘羅大将像(波夷羅大将像)のみ、
江戸時代末期の地震で倒壊してしまった為、
昭和六年(1931)補作の国宝指定外です。
迷企羅大将像(伐折羅大将像)が、
500円切手のデザインに使用されていることは、
以前別の記事に書きました。
いや、マジでかっこいい。
庫裏で、新薬師寺の隆盛と衰退、
そして復興のビデオを鑑賞させて頂きました。