宗派 聖徳宗
本尊 伝如意輪観世音菩薩
636-0111 生駒郡斑鳩町法隆寺北町1-1-2
公式サイト http://www.chuguji.jp/
法隆寺の東院伽藍と、
塀一枚で接する東に、
現在のこの中宮寺は、
まるで支院のようにありますが、
元はここから400m東方、
斑鳩宮を中心に西の法隆寺と対照的に、
四天王寺方式の大伽藍を有していたとか。
聖徳太子の母・穴穂部間人皇女の発願により、
その宮殿を寺としたともいわれております。
平安時代に寺運が衰退し、
先ほど話題にした鐘のように、
寺宝は法隆寺に渡りますが、
鎌倉時代に中興の、
信如比丘尼により復興をみるも、
たびたび火災に遭い、
現在の法隆寺山内支院の地に避難し、
そのまま旧地への再建ならず、
慶長七年(1602)慈覚院宮を初代門跡に迎え、
以後は門跡尼寺として今日に至っています。
現在の本堂は高松宮妃の発願で、
吉田五十八の設計、
昭和四十三年(1968)建立の、
和風の現代建築です。
ここにこの飛鳥時代の国宝、
木造菩薩半跏像がおわします。
寺伝では如意輪観世音菩薩とされていますが、
私は絶対に弥勒菩薩像として、
造立されたものだと思っています。
意外に参拝者が少なく、
しばらく本堂で座り込み、
しばしこの”おだんごチャソ”独り占め❤
さて寺宝は他にいくつかあり、
国宝は飛鳥時代の天寿国繍帳残闕がありますが、
実物は奈良国立博物館に寄託しています。
レプリカが本堂に安置されていました。
さて中宮寺の参拝の後、
法輪寺、法起寺をめぐり、
ぐるりと法隆寺駅に向けて歩いていますと、
案内の通り、現在の中宮寺から、
東に約400mほどの場所に、
この中宮寺跡がありました。
遠目に何らかの建物の、
巨大な台が見えましたが、
残念ながら整備工事中で立入禁止でした。