宗派 聖徳宗
本尊 薬師如来
636-0111 生駒郡斑鳩町三井1570
公式サイト http://www1.kcn.ne.jp/~horinji/
中宮寺参拝の後、
そのままこの雰囲気のある、
斑鳩の土塀の町並みを抜けて、
稲刈り間近な里山の風景を北上しますと、
正面にこの三重塔が見えました。
ここ法輪寺は地名から三井寺とも呼ばれ、
「法林寺」「法琳寺」とも書くことがあります。
宗派は法隆寺と同じく聖徳宗。
三重塔は昭和十九年(1944)に落雷で焼失し、
昭和五十年(1975)年の再建である為、
世界遺産「法隆寺地域の仏教建造物」
・・・に、含まれていません。
創建については二説があり、
山背大兄王が父・聖徳太子の、
病気平癒の祈願の為、
推古天皇三十年(622)に建てた説と、
創建法隆寺の焼失後に、
百済開法師・円明法師・下氷新物が、
三人合力で造寺したとする説。
しかしその三人いずれの人物も、
伝記は全く不明であるとか。。。
いずれにしても調査によれば、
その伽藍の規模は法隆寺西伽藍の2/3程度であり、
出土する鐙瓦・宇瓦の文様が法隆寺と類似し、
また薬師如来坐像と伝虚空蔵菩薩立像が、
やはり飛鳥様式であることから、
七世紀末頃にはほぼ、
寺観が整っていたであろうと推定されています。
そしてこちらがその、
昭和五十年(1975)年の再建の三重塔。
右隣、東側には本堂である金堂で、
宝暦十一年(1761)の再建。
講堂が収蔵庫の役割で改築されるまで、
諸仏はこちらに安置されていたそうですが、
現在は内部は非公開です。
本来、僧が勉強する為の講堂ですが、
前述の通り、こちらは昭和三十五年(1960)に、
耐火耐震の収蔵庫として改築されます。
こちらもやはり堂内は撮影禁止。
これらの写真は手元の資料の写しです。
法隆寺の金銅仏に似た、
この重文・薬師如来坐像は、
飛鳥時代の木彫如来像としては唯一最大。
他にも仏像はなかなかのお宝揃いですので、
詳しくは公式サイトをご覧下さい。
山号にもなっている、
秘仏の妙見菩薩を祀る妙見堂。
元々、旧妙見堂は寺北の山中から、
境内に移築されたもので、
享保十六年(1731)に、
寳祐が再建したと伝わりますが、
寺運衰退を再興した時期と重なり、
近世以降、妙見信仰は、
法輪寺信仰の中心の一つとなります。
現在の堂宇は平成十一年(1999)の改築発願で、
平成十五年(2003)に完成したものです。