国指定史跡 小田城跡
公式サイト http://www.pref.ibaraki.jp/doboku/urado/doni/05roadmap.html
さて、チャリの相棒のゾウと、
"走り納め"をしようということになり、
前々から課題にしていた、
「つくばりんりんロード」を往復することにしました。
正式名称は「茨城県道501号桜川土浦自転車道線」、
またの名を「筑波自転車道」。
筑波鉄道の廃線の跡地全長約40Kmを、
サイクリング道路に整備したもので、
最近では以前挑戦した、
霞ヶ浦一周100kmと合わせて180kmの、
「つくば霞ヶ浦りんりんロード」とも呼ばれます。
まずはいつも通りゾウのランクルで、
七時に習志野を出発。
首都高から常磐道ではなく、
初めて東関道から圏央道に出てみました。
茨城県に入りしばらくすると、
まずは世界一巨大な牛久大仏がお出迎え。
→ 浄土真宗東本願寺派本山 東本願寺本廟 〜牛久大仏〜 - 元・【東京】江戸御府内八十八ヶ所順打ち巡礼記【遍路】
徐々に筑波山が大きくなって来ました。
今日は一日筑波山の麓を往来することとなるでしょう。
霞ヶ浦総合運動公園に車を止めて、
霞ヶ浦湖畔を出発したのが午前8時50分。
霞ヶ浦の桜川河口を遡り、
JR土浦駅へと向かいます。
旧筑波鉄道はほぼこの桜川に沿って走っていたので、
筑波山と共に今日一日お伴となるでしょう。
JR土浦駅の北西にある、
つくばりんりんロードの「終点」である、
旧筑波鉄道の土浦駅跡。
昔は行楽シーズンには、
ここから国鉄の列車が、
筑波駅まで乗り入れていたそうです。
と、いう訳でしばらく常磐線と並行して走ります。
旧虫掛駅・虫掛休憩所、
旧常陸藤沢駅・藤沢休憩所に軽く立ち寄ります。
それぞれ昔のホームがそのままあり、
休憩施設となっています。
旧田土部駅?
旧常陸小田駅?と、
いくつもの駅の跡を通過します。
う〜ん、ちょっと向かい風で、
あんまり進まないね、ゾウ。
何やら最近造成されたばかりのような、
土塁が見えて参りました。
なんぢゃこりゃぁ??
国指定史跡にもなっている、
小田氏の居城だった小田城跡です。
元々、筑波鉄道が、
この城址を貫くように通っていましたが、
廃線後に発掘調査がされて、
保存・整備されたようです。
元々四方に濠と土塁を廻らした、
単郭式の館だったようですが、
その後、戦国期に拡張して、
平城になったと推定されています。
常陸小田氏に関しては、
手抜きでスミマセンが、
上記のWikiの記事をご覧ください。
おそらく復元前からあったであろう、
石碑がいくつかありますが、
それぞれに案内がなく、
その由緒なまま不明です。
そもそも筑波鉄道が真ん中を走っていた、
昭和十年(1935)に国指定史跡に登録されているので、
その頃に建てられたものが、
ここにまとめられているのかも知れません。
りんりんロードの岩瀬寄り、
本丸の北西側に、この小田城跡碑があり、
巨大な五輪塔がありましたが、
これにも案内がなく不明です。
またその手前にはこの石碑と、
多数の小さな五輪塔がまとめられています。
これは明らかに墓石なので、
おそらく城の後の時代のものかと思います。
さて、先に進みましょう。
りんりんロードの沿道には
ところどころ桜が植えられて、
桜並木を形成しています。
これは春はきれいでしょう。
広大な筑波山に向かって走る、
この爽快感は本当にたまらない。
でもオイラやっぱりクライムは勘弁して下さい。
かつて、土浦駅、岩瀬駅から、
国鉄列車が乗り入れていたという、
旧筑波鉄道のド真ん中でもあり、
筑波山の玄関口でもあった、
旧筑波駅は筑波休憩所になっています。
今でも筑波山に向かうバスはここが起点で、
旧の駅舎なんでしょうか、
「筑波山口バスターミナル」になっています。
筑波休憩所過ぎると、
ところどころにこのような、
踏切の跡をみることが出来ました。
旧真壁駅・真壁休憩所に到着しました。
こちらの真壁城跡も国指定史跡なんですが、
ほとんど現存する遺構はないようです。
「茨城百景・伝正寺と真壁城址」の碑がありましたが、
正直なんだかなぁ〜でございます。
ただ、空にパラグライダーが飛んでいました。
さて、この旧雨引駅・雨引休憩所は、
あの坂東第二十四番・雨引観音に一番近い場所になります。
→ 【坂東第二十四番】雨引山 楽法寺 (雨引観音) - 元・【東京】江戸御府内八十八ヶ所順打ち巡礼記【遍路】
歩行者も対向車もなく、
安全を確保した上で、
ゾウからわざと少し遅れて、
思い切りスピードを出してみました。
旧樺穂駅?、
旧東飯田駅?でしょうか。
さてついにりんりんロードの起点である、
旧岩瀬駅・岩瀬休憩所に到着デス。
とってものどかなJR岩瀬駅です。
ちょうどお昼時なので、
お店をググって選びました。
とりまこれは別の記事に致します。
↓↓↓
→ 麺工房 秋田 - 元・【東京】江戸御府内八十八ヶ所順打ち巡礼記【遍路】
食後、岩瀬駅に戻りまして、
再びつくばりんりんロードを南下します。
往路でも意味不明だった、
このボヨンボヨン道路を撮影しようとしたら、
カメラを落としそうになりビビった。
帰りは追い風ピュンピュンで、
あっという間に土浦市内に戻りました。
少しりんりんロードから離れまして、
気になっていた土浦城跡に立ち寄ってみます。
水に浮かぶ亀の甲羅のように見えたことから、
亀城(きじょう)の異名を持つ、
土浦城跡の一部を整備した亀城公園
室町時代に築城され、
江戸時代に段階的に増改築された、
二重の堀のある平城で、
元々天守は作られなかったとか。
この東西の櫓は復元です。
この現存する太鼓櫓門とも呼ばれる櫓門が、
明暦二年(1656)に改築されたとされ、
関東地方に唯一残る江戸時代の櫓門なんだそうです。
内濠の外から櫓門を望みます。
この高麗門は元々は、
武家屋敷と町屋の間を仕切る、
前川口門だったそうですが、
明治、大正と度々の移築を経て、
昭和五十六(1981)にここに移されたものとか。
また二の丸跡には、
この樹齢約五百年の、
巨大なシイが立っていました。
これはとても立派です。
土浦は昔から水陸交通の要地で、
大いに栄えた宿場町であり、
常陸国では水戸に次ぐ第二の都市でした。
ですからこの通り、
今も歴史のある建物が残りますが、
駅前はどこか寂し気になってしまいました。