国指定史跡 玉川上水
三連休最終日ですが、
またまた急な思い付きですが、
チャリの相棒のゾウと、
多摩川サイクリングロードこと、
通称"多摩サイ"⚾🦏を、
走ろうということになりました。
羽村取水堰付近から、
大田区の大師橋緑地までの、
約53kmの左岸は、
「たまリバー50キロ」として、
整備がされているとか。
まずはJR津田沼駅前の、
松屋の朝食で腹ごしらえ。
新大阪別宅撤収から、
約一年ぶりに食べるけど。
てか、関東で食べるの初めてかも。
関東の松屋にうどんがないって、
ホントなんだな、なんか不思議。
いつもの様にJR津田沼駅北口の、
ワショーイ像前でチャリをバラし、
輪行袋にと詰め込みます。
さてまずは総武快速線で、
津田沼から東京へ。
東京から青梅快速を狙ったものの、
特快の高尾行きが停まっていたので、
とりま立川へ。
立川でしばらく待って、
無事、青梅線に乗り換えました。
で、ここから先は、
ドアに開閉ボタンがあり、
ランプが緑赤に点灯作動ちう。
二時間以上かかりまして、
ようやく羽村駅にトウチャコしますた。
やっぱり千葉よりもかなり寒く、
駅前にまだ大量の雪が残っています。
極寒の駅前でチャリを組立て、
さて多摩川を目指し出発です。
駅前の案内板をみると、
とりま西に進めば、
たまリバー50キロのスタート地点、
羽村取水堰に出るみたい。
羽村取水堰の上に出ました。
チャリを持って階段で下に降ります。
羽村取水堰は承応三年(1654)、
玉川上水開削時に設置されたもので、
現在の形態になったのは、
明治三十三年(1900)ですが、
仕組み自体は開削当時と、
ほぼ変わっていないとか。
兄は庄右衛門は、
元和八年(1622)頃に生まれ、
元禄八年(1695)に没。
弟は清右衛門は生年不明で、
元禄九年(1696)に没。
多摩川沿いに住む、
農家の出であったそうですが、
私財を投じた玉川上水の、
開通の功によりまして、
「玉川」の姓を名乗る、
苗字帯刀が許されます。
さてたまリバー50キロです。
なるほど一部には、
未舗装路もあるようですが、
基本、上流から見た左岸に、
ずっとコースが続いているよう。
ほなゾウさんレッツラゴーや。
ほどなく羽村大橋で、
これを過ぎると、
すぐに福生市に入り
永田橋の前後に、
今日初めての未舗装路。
ただ大きな砂利はなく、
比較的走りやすい。
さらに多摩橋をくぐり、
五日市線と睦橋を過ぎ、
昭島市内に入り、
次の拝島橋を越えると、
八高線の多摩川橋梁は、
ご覧の通りの「頭上注意」。
この橋梁上で終戦直後の、
昭和二十年(1945)8月24日、
上下線の列車が正面衝突し、
少なくとも105名の死者を出した、
八高線列車正面衝突事故がありました。
中央本線と、
多摩モノレールをくぐると、
自動的に立川公園内に突入。
この中にこの根川貝殻坂橋があります。
木製支柱の二径間連続斜張橋で、
この辺りは昔は海だったので、
土を掘ると貝殻が出てきたことが、
この橋の名の由来とか。
小腹が空いてきたので、
少し多摩川を離れて、
柴崎町六丁目のファミマで小休憩。
ここで多摩川沿いに造詣の深い、
タヤパンにランチスポットを、
LINEで尋ねました。
ふむふむなるほど、
そこがええな。
ほな、ゾウさん、
聖蹟桜ヶ丘方面、
行ってみよか知らんけど。
日野橋をくぐり国立市に入り、
中央高速と国道20号日野バイパス、
石田大橋を過ぎて、
野猿街道の府中四谷橋が見えました。
これを橋に上がり右折して、
聖蹟桜ヶ丘方面へと、
ランチの為に多摩川を離れます。
ほなお店のレポは別記事で!!
さてガッツリ満腹になりまして、
再び多摩川へと戻りましょう。
府中四谷橋に戻り、
気分転換に多摩川の右岸、
多摩市側の土手を走ってみました。
京王線と、関戸橋をくぐり、
一見順調に進めそうですが、
しかし何ということでしょう。
多摩市交通公園先で行き止まりデス。
ぐるりと回り込んで、
関戸橋に戻って渡り、
府中市内で左岸に戻ります。
さて武蔵野南線、
南武線をくぐって、
是政橋に到着。
ここまで羽村取水堰から23kmで、
大師橋緑地まで後残り30km。
で、稲城大橋を越えると、
ほどなく調布市内へ入り、
鶴川街道・多摩川原橋、
京王相模原線で、
更に進むと狛江市内。
この多摩水道橋と、
小田急線の前後に、
再び未舗装路があり、
完全な砂利道で手が痺れます。
東名高速の手前で、
世田谷区内に入り、
砧野球場辺りで、
子供の飛び出しがあって、
急ブレーキで回避ヒヤリ。
国道246号厚木街道を過ぎたら、
またコンビニを求めて、
二子玉川駅へと多摩川を離れます。
多摩堤通りで東急田園都市線を越え、
またまた多摩川へと戻りました。
第三京浜の先で、
ついに最後の大田区に入り、
東急東横線、丸子橋を過ぎると、
横須賀線と東海道新幹線の橋梁。
新幹線で新大阪からの帰り道、
この鉄橋を渡る度に、
東京に戻ったことを実感したっけ。
ガス橋を過ぎると、
多摩川大橋が見えます。
オデキのように神奈川に飛び出した、
六郷土手、六郷橋を越えると、
傾きかけた日の光が、
多摩川を照らしています。
さて、たまリバー50キロの最終地点、
大師橋緑地のある大師橋が見えました。
大師橋を過ぎて、
本来の多摩川河口である、
五十間鼻無縁仏堂前に到達しました。
ここには関東大震災や東京大空襲で、
多摩川で亡くなった水難者が、
多数漂着した場所です。
また弁天橋を渡ったところにある、
旧・穴守稲荷の鳥居については、
過去に一度ブログに書いておりますので、
こちらをご覧ください。
→ 羽田の大鳥居 - 元・【東京】江戸御府内八十八ヶ所順打ち巡礼記【遍路】
たまリバー50キロは終わりましたが、
とりまなんとなく羽田空港を目指しました。
第一ターミナルの到着出口前で、
チャリをバラし輪行袋に詰め込みます。
東京モノレール、
バッチリ空港快速に当たり、
空いている車内でくつろぐ、
ゾウ氏(48)独身・彼女募集ちう。
浜松町から山手線に乗り、
新橋で、総武快速線直通の、
横須賀線に乗り換えました。
すると、突然、
パーン!
と、いう破裂音が車内に!!
((((;゚Д゚)))))))
砧付近で飛び出した子供を避ける為、
急ブレーキをかけた際に、
タイヤがこの通り削れていたことは、
チャリをバラす時に気付きましたが、
これが原因でチューブの空気圧が偏り、
破裂してしまったようです。
たまたま家にいた長男を、
携帯で呼び出して、
津田沼駅から車に積み込んで、
一旦、帰宅致しました。
長男に小遣いあげなあかん...。
・・・高くついた。
(;ω;)