本尊 不動明王
宗派 真言宗智山派 別格本山
191-0031 日野市高幡733
公式サイト http://www.takahatafudoson.or.jp/
さて最後は八王子から日野に出て、
十三年ぶりに高幡不動尊にお参りします。
まず出迎えてくれた仁王門は、
国指定の重文で室町時代の建立。
そもそもは楼門でしたが、
時代を経て主要部を、
切妻の屋根がかけけられていましたが、
昭和三十四年(1959)の解体修理で、
元に近い姿に復元されたもの。
本堂である重文の不動堂は、
建武二年(1335)に倒壊し、
康永元年(1342)に移建された、
都内随一の古文化財建造物。
現在、ご本尊修理の際に、
平安時代の様式を忠実に継承した、
新造された北宗俊作の、
新丈六不動明王像の、
身代り本尊が祀られています。
五重塔は新しいものですが、
平安初期の様式を模したもので、
和様、三手先出組、青銅瓦葺、
塔高39.8m、総高45m。
満五年の歳月をかけて竣工されました。
さて奥殿にご本尊が祀られて、
拝観料300円で入館すると、
寺宝展が拝観出来ます。
ガラス越しにこの通り、
ご本尊に拝せたもので、
少し迷いましたが、
やっぱり拝観してしまいました。
館内は勿論撮影禁止なので、
手元の資料の写真の転載で失礼します。
寺宝は本尊三尊の、国指定、
「木造不動明王像並びに両童子像」
の、他、数多くの文化財が展示されています。
そもそもこの寺の草創は、
大宝年間(701-704)以前とも、
また行基の開基とも云われていますが、
寺伝では慈覚大師円仁が、
清和天皇の勅願により開創したとされています。
本尊三尊は、平安時代後期のとされ、
日本唯一の丈六の不動三尊で、
不動明王の向かって右に矜羯羅童子、
左に制托迦童子が立ちます。
不動明王像の像高は約2.8m。
記録では建武二年(1335)に、
不動堂が大風で倒壊した際に大破し、
康永元年(1342)に修理されて、
造立時の姿に戻されたとか。
奥殿の右隣に、
「上杉憲顕の墳」
と、あるもので、
なしてこげなところに、
「上杉憲顕」なんだろうと、
不思議に思っていたら、
山内上杉家の始祖の「憲顕」ではなくて、
犬懸上杉家の五代目の、
「憲秋」の墓なんだって。
享徳四年(1455)の分倍河原の戦いで、
先陣を務めたものの深手を負い敗れ、
この境内で自刃したんだとか。
→ 上杉憲顕 - Wikipedia
→ 上杉憲秋 - Wikipedia
同じ日野市内にある、
新選組の土方歳三の菩提寺で、
お墓のある愛宕山石田寺は、
この高幡山金剛寺の末寺で、
その縁から境内には、
この土方歳三の銅像や、
殉節両雄の碑があります。
あら歳さん、銅像もいい男だこと。
頂きました第八番の御朱印でございます。
さてさて、この後、
タヤパンに調布駅まで車で送ってもらい、
京王線から都営新宿線直通で、
本八幡まで乗って帰るつもりでしたが、
途中で飽きてしまいまして、
馬喰横山駅で総武快速線の馬喰町駅に乗換て、
無事津田沼にトウチャコしました。
タヤパン、一日付き合ってくれてありがとね。
次のコモエスタ園の休日出勤は、
七月の予定だけどどこに行こうか。
残りの関東三十六不動詣をまじえて、
どこかガッツリ食べれるところ...。
今のうちから考えておきます。