壬生 車塚古墳・牛塚古墳 その二

国指定史跡 車塚古墳・牛塚古墳
321-0124 下都賀郡壬生町壬生甲3152-2付近




壬生 車塚古墳 → その一






壬生駅






さて午後に予定があるという、
じろりーまん氏を壬生駅に送りまして、
眉鍋組栃木遠征は午後の部に突入します。
巷の噂とは異なりまして、
眉鍋組は極めてリベラルでピースフルな、
民主主義的な団体でございますので、
組織の方針や行動はすべて、
多数決により決定します。
しかし今回の遠征の訪問先希望は、
上位に温泉と宇都宮焼きそばが入り、
地理的な要件で三位以降の予定が、
どうにもこうにも難しく、
幹事の独断的な希望により、
無理矢理に古墳二つを挿入しました。
もちろん民主主義的に、
参加者の同意は半強制的に得ています。
。゚(゚´Д`゚)゚。





車塚古墳の案内  車塚古墳





さて四年ぶり二度目の、
国指定史跡である壬生車塚古墳。
墳丘は三段築成で、
墳丘一段目である、
基壇の幅が約17m。
墳丘の周りは二重の堀と、
周堤で囲まれています。
直径は82mで堀を入れると135m。
高さ11mのいう大規模な円墳です。
葺石はありますが、
埴輪は発見されていないとか。




横穴式石室  石室内





主体部は凝灰岩=大谷石の、
切石を積み上げた、
大型横穴式石室で、
南側に開口しており、
文献によれば江戸時代には、
すでに開いていたとか。
石室内に入ることが出来る、
数少ない古墳の一つです。
さて、その石室は、
奥壁・側壁・天井とも一枚石で、
長さ3m、幅2.8m、高さ2.3mで、
幅1.35mの玄門が開いています。
また、石室の前面には、
祭祀の場である前庭があります。
内部は前回と異なり、
なにやら床に調査的な土嚢袋が敷かれ、
石室入口の前に蓋のような、
大谷石の立方体が置かれていました。
副葬品の出土がない為、
明確な築造時期は不明ですが、
石室の構築方法や規模等から、
七世紀前半代と想定されています。





牛塚古墳




すぐ南に隣接して、
やはり国指定史跡の、
牛塚古墳があります。
こちらは 帆立貝形古墳で、
墳丘は二段築成で、
全長約60m・高さ約5m。
こちら車塚古墳に先行して、
六世紀末の築造と想定されます。