国指定史跡 鶴岡八幡宮境内
旧国幣中社・別表神社
主祭神 応神天皇・比売神・神功皇后
248-0005 鎌倉市雪ノ下2-1-31
公式サイト http://www.hachimangu.or.jp
大渋滞、大混雑の鎌倉デス。
そんな中、源氏・鎌倉武士の守護神、
鶴岡八幡宮の、
三の鳥居前に辿り着きました。
康平六年(1063)源頼義が、
前九年の役での戦勝を祈願した、
京都・石清水八幡宮護国寺を、
鎌倉の由比郷鶴岡(現材木座1丁目)に、
鶴岡若宮として勧請したのが始まりデス。
永保元年(1081)には、
源義家(八幡太郎義家)が修復しました。
治承四年(1180)鎌倉に入った源頼朝は、
鶴岡若宮を現在の地に遷し、
その社殿を中心にして、
幕府の中枢となる施設を整備。
建久二年(1191)の、
社殿の焼損を機に、
上宮(本宮)と下宮(若宮)とし、
改めて石清水八幡宮護国寺を勧請しました。
承元二年(1208)には、
神宮寺が創建されます。
静御前が義経を慕い、
心を込めて舞った若宮廻廊跡に建ち、
下拝殿とも呼ばれる舞殿。
この日は結婚式が行われていました。
平成二十二(2010)、
樹齢千年といわれた、
鶴岡八幡宮の長い歴史を、
見つめてきた大銀杏が、
雪混じりの強風によって、
倒伏しました。
高さは推定30m、
幹の太さは約7mあったとか。
建保七年(1219)源頼家の子で、
八幡宮の別当の公暁が、
この銀杏の木に隠れて待ち伏せて、
源実朝を殺害したという伝説がある、
"隠れ銀杏"という別名の大銀杏。
倒壊から約1か月後に、
再生への努力が実を結び、
若芽(蘖・ひこばえ)が、
確認されたそうですが、
現在の状況は不明です。
大石段六十段上にある、
本宮(上宮)は、
文政十一年(1828)、
徳川家斉が再建した流権現造で、
国の重要文化財。
正面は桜門でその奥に、
拝殿とつながった本宮があります。