国指定天然記念物(善福寺ノ公孫樹)
宗派 浄土真宗本願寺派
本尊 阿弥陀如来
106-0046 港区元麻布1-6-21
公式サイト http://www.azabu-san.or.jp/
【その一】
makoto-jin-rei.hatenablog.jp
さて今日もPCXにて、
直行直帰の得意先訪問デスが、
元麻布の法人を訪ねたもので、
御神木目当てに、
麻布山善福寺にお参りしました。
ブログ記事では15年ぶりのご無沙汰デスが、
仕事のお付き合いや親類の葬儀で、
おそらく何度かは訪問しております。
純粋なお参りは、
あまりにご無沙汰なので、
一通り境内を紹介致します。
こちらは寺伝では天長元年(824)、
弘法大師空海により開山されたとされ、
当初は真言宗の寺院でした。
鎌倉時代になり、
配流になっていた越後国を出て、
東国布教をしていた親鸞が、
寛喜元年(1229)に、
ここを訪れた際に、
後に六老僧となる了海によって、
浄土真宗に改宗したとされています。
現在のこの本堂は、
当初東本願寺八尾別院大信寺の本堂を、
昭和三十六年(1961)に、
移築して組み上げたもの。
大信寺は慶長年間(1596-1615)の、
創建の古刹ですが、
この本堂は明和四年(1767)に、
創建当時の本堂の一部を、
再利用して再建されたもの。
正面約28m、奥行34mの入母屋屋根・桟瓦葺。
天明八年(1788)の天明の大火で、
東本願寺が焼失した為に、
同年から寛政十年(1798)まで、
東本願寺に移築されて、
御影堂として使用され、
再び大信寺に戻り移築されたものを、
三度目の移築でここに落ち着きました。
しかこちらはお西さんですよねぇ。
なんでだろ?
こちらは、
「最初のアメリカ公使宿館跡」
でもあります。
安政六年(1859)、初代アメリカ公使として、
下田からハリスがここに住みました。
昭和十一年(1936)日米協会により、
この「ハリスの碑」が建てられますが、
戦争中に撤去を命じられ、
土に埋め隠しました。
戦後に掘り出されたものがこちらです。
寺には当時の寺僧の記録
「亜墨利加ミニストル旅宿記」
が、残されているそうデス。
墓地に福澤諭吉夫妻の、
「福沢諭吉・妻阿錦之墓」と、
左側には明治六年(1873)に、
建立された、
「福澤氏記念之碑」
が、あります。
福沢諭吉は大学敷地内に居を構えていた為、
今も慶応義塾大学三田キャンパスに、
終焉の地を示した石碑が設置されていますが、
彼の葬儀は福沢家の菩提寺である、
ここ善福寺で行われました。
しかし当初土葬で埋葬されたのは、
なぜかここ善福寺ではなく、
東京都品川区上大崎の常光寺でした。
一説には諭吉の遺言であるとか、
生前に常光寺の墓地を、
手に入れていたとも言われています。
しかし宗派の違いにより、
複雑な「事情」に陥り、
昭和五十七年(1977)に、
こちらに改葬されたのです。
改葬の際、遺体がなんと、
ミイラ化して残っているのが、
発見されましたが、
遺族の強い希望で、
そのまま荼毘にふされた遺骨が、
今ここに納められているようです。
元の常光寺にも、
「福澤諭吉先生永眠の地」
と、いう碑が残っているんだとか。
今度近くに行ったらお参り致します。
→ 福澤諭吉生誕地
→ 福澤諭吉像
適塾 → その一、その二
→ 「福沢心訓七則」について
→ 「福澤諭吉」関連の記事
福沢諭吉・妻阿錦之墓です。
向かって左側面に、
「大観院独立自尊居士」
と、諭吉の戒名があります。
確かに浄土真宗の、
「釈◯◯」とした法名ではありません。
福澤夫妻の墓石の左に、
諭吉の母である、
「福澤百助之妻阿順之墓」
が、ありますが、
こちらはどこからか、
改葬されたものなんでしょうか。
諭吉の父である福澤百助の墓は、
多摩霊園にあるそうですが、
ワタシは確認しておりません。
墓地には他にも、
越路吹雪歌碑があります。
越路吹雪と岩谷時子の写真と、
「愛の賛歌」の歌詞が記されていて、
お線香があげられていますが、
墓ではないようです。
親鸞の銅像がありますが、
お寺にある宗祖や祖師の銅像は、
祈りの対象であり、
取り上げてはキリがなくいので、
「銅像」カテゴリーには入れません。
さて今回のお目当てのイチョウです。
親鸞がこちらの境内に杖を突き差し、
根が生えついたというのが、
この「逆さイチョウ」の大樹です。
都内最大のイチョウで幹回は10.4mですが、
樹齢は親鸞伝説の辻褄を合わせる為か、
750年以上とされています。
親鸞が越後を出て、
東国布教をしていたのは、
建保二年(1214)から、
嘉禎元年(1235)頃までの21年で、
今から785~806年前。
それ以上やそれ以下の樹齢にしたら、
親鸞の杖伝説、難しくなっちゃう。
寺伝では親鸞が来たのは、
寛喜元年(1229)だから、
伝説が正しければ樹齢791年。
そういえば前回の15年前の、
「その一」訪問時には、
「樹齢770余年」と、
どこかに書いてあったっけ。
お寺は信じているだなぁ。
黒く焦げた跡は、
東京大空襲の被害なんでしょぅか。
本田不二雄さんの「神木探偵」には、
載ってはおりませんが、
ワタシは都内では、
一番スゴイと思うヌシです。
門前の表参道には、
空海が持っていた杖を突き差し、
涌きださせたという泉、
「柳の井戸」が残り、
今も渾渾と水を生み出しています。
関東大震災や東京大空襲で
多くの被災者の喉を潤しました。
イチョウの大樹に清らかな井戸と、
都心の真ん中にいることを、
忘れてしまいそうな貴重な空間です。