西國三十三所順打ち巡礼記

旧・元【東京】江戸御府内八十八ヶ所順打ち巡礼記【遍路】

護國山 正法寺 田喜野井不動尊 その二 & 田喜野井 子神社 その二

【護國山 正法寺 田喜野井不動尊
宗派 真言宗豊山派
堂跡本尊 不動明王
274-0073 船橋市田喜野井4-32



護國山 正法寺 田喜野井不動尊 → その一【吉橋第36番】 
護國山 正法寺 → その一【吉橋第19番】 



【田喜野井 子神社】
祭神 大己貴命
274-0073 船橋市田喜野井3-16




田喜野井 子神社 → その一 




本日は夕方に血液検査があり、
ランチもお預けだったもので、
ブログは貯金ネタで失礼致します。



先週土曜日のことですが、
このブログ用のメールアドレスに、
突然このようなメールを頂戴しました。


makotojinrei様

初めてメールをさせて頂きます。
突然のメールで大変申し訳ございません。

子供が夏休みの自由研究で
田喜野井不動尊について調べていた過程で
makotojinrei様のブログにたどり着きました。
https://makoto-jin-rei.hatenablog.jp/entry/20100515/p2
(というか、田喜野井不動尊で検索したら一番最初に出てまいりました)

ブログを読んで大変びっくりすることばかりだったのですが、
船橋市郷土資料館にも正法寺にも田喜野井小学校の土地に
愛宕神社が祀られていた事を裏付ける資料がなくてお手上げ状態です。
大変失礼ですが、makotojinrei様はどちらでお知りになったのでしょうか?
また、その資料はまだ残っておりますでしょうか?
お父様やおじい様から昔聞いたという事でも構いません。
お聞かせいただけると大変助かります。

また、makotojinrei様のこのブログの記事を自由研究でご引用させて
頂いてもよろしいでしょうか?
突然の申し出で大変申し訳ございません。
何卒よろしくお願いします。

千葉県船橋市に在住しております

〇〇〇〇


ありがとうございます。
このようなメールを頂戴するのは、
とても嬉しい限りです。
「出来る限り力になりたい‼️」
と、本棚や机の引き出しをひっくり返すも、
なんせ10年以上前の記事。。。









〇〇 様

お世話になっております。
江戸御府内八十八ヶ所順打ち巡礼記の、
makotojinreiこと習志野市在住の〇〇と申します。
ご丁寧なメールありがとうございます。
私ども夫婦も子供の自由研究では大変苦労致しました。(笑)
今は長男が社会人三年生、次男が大学四年となっております。

ご質問の件、正直なところ、
十年以上も前の、吉橋大師八十八ヶ所の一札所の記事であり、
その記事を書いたことすら記憶にないものでした。
当時は吉橋大師の札所一覧すらなくて、
八千代市船橋市習志野市等の、
図書館の郷土史コーナー、郷土資料館等に通い、
資料をかき集めた記憶がございますが、
残念ながら手元に残る資料には当該部分の記述は、
ほぼありませんでした。

当時のデジカメのSDカードを確認したところ、
一枚の案内板の写真を発見しました。
添付の写真がそれになります。
今現在はこの案内板は現地にないのでしょうか?
おそらく正法寺が設置したものと思われます。
ブログ記事の内容の一部は、
この案内板を参考にした記憶がありますが、
重要文化財」等の記述に違和感があり、
(船橋市重要文化財南北朝時代の板碑はありません)
写真を載せなかったものと思われます。
案内板の内容に重要な誤りがあって、
撤去したのかもしれません。
正法寺の住職は代替わりなさっているのでしょうか。
あくまで寺伝ということであれば、
私のブログの内容は問題ないと思います。
石造不動明王立像、手水鉢等の建立の銘は、
私が実物から当時読み取ったものです。
ブログの引用等はご自由になさってください。
ところで〇〇様が知りたいのは、
「田喜野井小学校の土地に
愛宕神社が祀られていた事を裏付ける資料」
でしょうか?
元々田喜野井小学校の場所にあった、
愛宕神社(御嶽神社)は学校建設の際に、
近くの子神社に合祀されたと記憶しています。
確か子神社にその旨が記された碑があるかと思います。
子神社を調べてみてはいかがでしょうか?
よろしくお願い申し上げます。
SDカードに残っていた10年前の画像

このように返信したものの、
自分自身がとても気になってしまいまして、
一昨日の朝、大宮公園駅前店に出かける前に、
PCX150で田喜野井不動尊に参拝してみました。



田喜野井不動尊とPCX150




11年ぶりの参拝ですが、
特に変わったところはないようです。



田喜野井不動尊標石  田喜野井不動尊標石(裏)



入口右手にある標石は、
平成五年(1993)に、
「田喜野井不動尊奉賛会」
による建立です。




現存していた案内板  興教大師御遠忌八百五十年田喜野井不動尊落慶記念碑



返信メールに添付した、
前回撮影した案内板は現存しています。
前回は気が付きませんでしたが、
この左隣に平成四年(1992)に建立された、
興教大師覚鑁の御遠忌850年を記念した、
田喜野井不動尊落慶記念碑があります。




田喜野井不動尊境内  田喜野井不動尊
銅造不動明王立像  石造不動明王立像



その落慶記念碑は、
この中央の平成四年(1992)の建立、
この銅造不動明王立像の、
落慶を記念するものでしょう。
延宝二年(1674)建立の、
石造不動明王立像も変わらずおわします。




古い墓石等



江戸中期から後期のものが多い墓石群も変わりません。




【吉橋大師第三十六番】  大師堂内



前回よりもやや痛みが進んでいるのが、
この吉橋大師第三十六番の大師堂です。
扉が今にも壊れそうだったので、
開いてお大師様にご挨拶するのは遠慮しました。



田喜野井小学校




さておそらくこの、
田喜野井不動尊があった不動堂と、
神仏分離まで同一だったと思われる、
愛宕様こと御嶽神社は、
このすぐそばの、
田喜野井小学校の場所にあったそうです。



子神社とPCX150



田喜野井小学校建設と同時に、
御嶽神社はこの子神社の境内へ、
遷されたという記憶があったので、
併せてお参り致しました。
こちらも11年ぶりの参拝です。



子神社社碑  浅間神社




子神社の鳥居の右に、
この社碑がありまして、
確かに「境内神社」に、
御嶽神社」の記述があります。
この碑によれば、
御嶽神社の創建は、
天文四年(1535)と室町時代です。
また鳥居左の小高い丘は、
浅間神社」であり、
丘は「富士塚」ですが、
この社碑には記載がありません。




御遷宮境内敷整備記念碑  御遷宮境内敷整備記念碑(裏)



さて、お目当ての、
遷宮境内敷整備記念碑がありました。
この碑文を写してメールに添付致します。
やはり記憶していた通りでしたが、
正しくは合祀ではなく遷宮で、
境内社が建立されています。



子神社拝殿  子神社本殿



さてまずは正面の子神社に参拝。



御嶽神社  御嶽神社社号標石
御嶽神社社殿  御嶽神社扁額



そしてその左にあるのが、
田喜野井小学校建設時に、
ここに遷宮された愛宕様こと御嶽神社です。
今回はこちらの参拝に参りました。
こちらも子神社の本社、拝殿の改修も、
その遷宮の昭和五十六年(1981)の整備です。
なお御嶽神社の扁額は、
なんと二宮神社から贈られたものです。
さあ、家に戻ってメールしましょう。


今朝気になって、
田喜野井不動尊
子神社を調べて来ました。
田喜野井不動尊にはまだ、
あの案内板が残っています。
田喜野井小学校にあった、
愛宕様=御嶽神社は、
やはり子神社の境内に、
遷座されています。
以下、写真と碑文です。

御遷宮境内敷整備記念碑
     御遷宮 境内敷整備記念

 抑抑 御嶽神社は古代より田喜野井五八三番地に鎮座し 愛宕
と称し畏敬されて信仰の的であったが 昭和五十五年此の地に田喜
野井小学校が建設されることとなり 地域発展の為やむなく買収に
応じ 子神社の境内に新社殿を造営 昭和五十六年一月御遷座し奉
り 併せて境内敷内の整備を発願 子神社の本社 拝殿の改修 社
務所の新築 鳥居の建立 階段の新設等環境を整備し 以て神威の
高揚に努め 田喜野井町の益益の発展を祈念し 関係者名を列記し
て 後世に伝えるものである

   昭和五十七年十月吉日 建立

makotojinrei様

おはようございます。
この度は突然のメールだったにもかかわらず、
懇切丁寧にご返信頂きまして誠にありがとうございました。
今朝主人と息子と2人で田喜野井不動尊正法寺をめぐり、
写真を撮ってきまして、今日明日でまとめる予定です。
子神社にも午後から私が出向こうと思っていたので大変助かりました。
お写真の添付までありがとうございます。

息子は、毎日通学で、
田喜野井不動尊の前を通るのですが、
なんだかお不動尊さんが気になって
時間さえあれば手を合わせていたらしいです。
夏休みの自由研究は社会科で
「日常で気になったことを調べてみよう」という項目が有ったので
何かふと気になったことはあるか尋ねてみたところ、
「なんであそこに田喜野井不動尊があるの?」
と、聞かれ、まずは私がネットで色々と調べてみました所、
makotojinrei様のブログにたどり着きました。

まさか田喜野井小学校に、
愛宕神社が祀られていたとは知らなかったので
息子は新しい発見に大喜びでした。
ただ、その事実を裏付ける資料が何もありませんでしたので
様々な所に問い合わせたのですがどこにも残っていませんでした。
正法寺までは追えましたが、
今回makotojinrei様から伺うまで子神社の事は全く知りませんでした。
makotojinrei様には感謝しかありません。
これで裏付け資料としてまとめて自由研究の提出が出来ます。
息子の今年の自由研究はmakotojinrei様無くしては成立しませんでした…
本当にありがとうございます。

全く関係ない情報ですが子神社、息子が仲良しのお友達の家のすぐ近所で、
よく遊んでいた場所だったらしく、ちょっとびっくり致しました。
この経緯を知ってからは前を通る時に手を合わせようねと息子と話していました。

しかし、まだ吉橋大師八十八ヶ所の札所一覧も無い時から
ご自身でかき集めて探し当てたという
makotojinrei様の行動力には感服致します。
歴史好きな息子ですが、やはり第一は自分の足で稼ぐことですね。
今回、自由研究の提出の際はご協力者様の欄に
makotojinrei様のお名前も明記させて頂いてもよろしいでしょうか?
今回の研究の一番の功労者様です。

この度は本当にありがとうございました。
今回のご縁をどうぞ大切にさせてください。

ご返信ありがとうございます。
逆に暇人にお付き合い頂き、
誠にありがとうございます。
私の想像を交えますが、
御嶽神社(愛宕様)が、
現在の田喜野井小学校にあった際に、
隣接してその神宮寺として、
不動明王を祀る大覚院があったものの、
明治の廃仏毀釈で廃寺になり、
現在は正法寺の管理に、
なったのではないでしょうか?
御嶽神社愛宕神社等の山岳信仰の祭神を、
本地垂迹不動明王を結びつける例は、
多々あります。
しかし小学生にして、
お不動様に自然に手を合わせたり、
歴史が好きだということは、
将来とても楽しみですね。
もし差し支えなければ、
個人情報を控えた上で、
メールのやりとりを、
ブログに載せてもよろしいでしょうか?
協力者の記名、お恥ずかしい限りですが、
もちろん構いません。
よろしくお願い申し上げます。

makotojinrei様

ご返信ありがとうございました。
makotojinrei様のその考察は大変興味深いです。
田喜野井不動尊の祠の中に
おそらく弘法大師かな?
と思う像がありました。
正法寺さんが真言宗で、
大日如来さまと縁深いので
大日如来さまのお使いである
不動尊様がここに立っているのが納得」
主人も主人なりに考察していました。

先ほど息子と一緒に子神社に行ってきました。
結構大きな神社でびっくりしました。
なるほど、子供の遊び場になるなあと…。
息子の疑問のおかげで私共も
地域の事をよく知る良いきっかけになりました。
makotojinrei様とのご縁にも感謝いたします。

私共のことはどうぞご自由にブログに書いてください。
個人情報に配慮して頂ければ全く問題ありません。
そして、協力者様の記載の件ありがとうございます。
書かせて頂きます。

今からまとめるのがひと作業ですが、
最後のひと仕事を何とか終わらせてきます。
今後ともどうぞよろしくお願いします。

田喜野井不動にある、
三十六番とかかれた小祠が、
吉橋大師八十八ヶ所の札所になりまして、
四国八十八ヶ所の写しになりますので、
それぞれ弘法大師空海像が祀られています。
真言宗大日如来を教主として祀りますが、
本尊は比較的自由です。
正法寺阿弥陀三尊ですし、
おそらく大覚院の本尊が、
不動明王であったはずです。
真言宗では不動明王は、
大日如来の変化の一つとされていますが、
そもそもはゾロアスター教等の、
炎を司る憤怒の神が仏教に取り込まれたもので、
日本では山岳の天狗や、
水源の水神とも混同されておりますが、
西洋の方々にはデビルと映るそうです。
子神社は周辺のいろいろな神様が、
集められて形成されていて、
とても興味深いです。
正面鳥居向かって左は浅間神社で、
あの丘は富士塚ですので、
参拝すれば富士登山と同じ御利益があります。

ブログの件、ありがとうございます。
後日記事にまとめさせていただきます。

もし自由研究をまとめる作業で、
なにが疑問点がありましたら、
お気軽にメールください。
よろしくお願い申し上げます。

と、いう訳で、
ブログに掲載させて頂きました。
しかしこういうことがあると、
長年ブログをやった甲斐があったと、
とても嬉しくなりますね。
出来上がった自由研究、
見てみたいなぁ。😆
と、返信したら、
なんとお母さんが、
出来上がった自由研究を、
ファイル転送サービスに、
アップしてくれました。




とても素晴らしかった。





今度直接お会いして、
真田幸村談義をしよう!