「間宮林蔵」(講談社文庫)

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三連休最終日デスが、
午後からは雨か雪の予報。。。
今日は一日かけてゆっくりと、
昨日の小貝川サイクリングの、
ブログ記事を編集致しました。
てな訳で貯金の読書ネタです。


ご存知の通り、
間宮林蔵
プチマイブームちうのワタシ。
数年ぶりに蔵書の中から、
この吉村昭氏の、
間宮林蔵』を読み直しました。



謎多き探検家の波瀾万丈の生涯を描く歴史長編。樺太は島なのか、大陸の一部なのか?世界地理上の謎であった同地を探検して島であることを確認し、間宮海峡を発見した間宮林蔵。その苦難の探検行をリアルに再現し、幕府隠密として生きた晩年までの知られざる生涯を描く。史実の闇に光をあてる長編傑作。


まるでルポルタージュのように、
調べ上げた史実を淡々と積みあげる、
吉村昭氏が描く間宮林蔵の生涯。
帰農した後北条家に仕えた武家の子孫とはいえ、
常陸国の農民の子が立身出世を誓い、
幕臣に見出されて従者となり、
樺太が島であることを発見して、
徳川将軍家御庭番となる林蔵ですが、
この本では生い立ちの部分の記述は少なく、
前半は苦難の探検行、
後半は隠密として生きた、
その激動の一生を描きます。
元々、現存する資料が少なかった間宮林蔵
この本は吉村氏が集めた飛び石のような史料と、
その欠落部分を創作で埋めている作品。
幾度も死を覚悟しながらも、
その負けん気と気の強さで、
様々な口惜しさと後悔を跳ねのけて、
波乱の人生を歩んだ林蔵。
北海道にはアイヌ女性との間に生まれた子の、
子孫が今もいらっしゃるようですが、
常陸の家は本家の子を養子として継がせ、
江戸の家は浅草の札差青柳家から、
養子を迎えたそうです。
本人の最期はけして他人に妻と認めなかった、
「雇い女」のおりきに看取られて、
65年の人生を終えます。
彼が13歳で筑波山で祈願した立身出世とは、
はたしてこのような人生だったのでしょうか。
樺太に行く前に建てた常陸の農民としての墓、
江戸の武士として建てた墓、
二つの墓石をみましたが、
どちらもどこか寂しく見えてしまうのは、
私だけでしょうか。