西國三十三所順打ち巡礼記

旧・元【東京】江戸御府内八十八ヶ所順打ち巡礼記【遍路】

【西国第四番】槇尾山 施福寺

宗派 天台宗
本尊 十一面千手千眼観世音菩薩
ご詠歌 深山寺や 檜原松原 わけゆけば 巻の尾寺に 駒ぞいさめる
594-1131 和泉市槇尾山町136





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施福寺駐車場のカローラツーリング  施福寺入口  



さて、和歌山県から再び大阪府に戻り、
葛城山脈の北にある槇尾山の山道を、
カローラツーリングで上ります。
無料の駐車場に辿り着いたのは、
午前10時20分。


施福寺山内禁制  入山料金所


施福寺山内禁制を熟読し、
入山料金所で参拝料を支払いました。
係員の女性によると、
ここから約1kmの山道を、
30分〜40分上らなければ、
本堂には辿り着けないそうです。



参道  石割りの木



確かに参道に、
「これより八丁」
と、いう石標がありました。
参道に沿って流れる川には、
石を割って伸びる木があります。



山門


5分ほどでこの仁王門に着きました。
慶長八年(1603)豊臣秀頼により再建。
しかし母はもうかなり疲れている様子です。
ここでギブアップをして、
私に御朱印帳を預けて駐車場に戻ります。



参道  参道
参道  参道
参道  参道




仁王門の先の山道は、
徐々に勾配がきつくなり、
山の木々は更に深くなっていきます。
一匹の小さなアオダイショウが、
しばらく私の前を、
まるでお先達のように、
先にニョロニョロと進みます。



参道  弘法大師御剃髪所
さらに階段  弘法大師御剃髪堂



更に山道を進むと、
弘法大師御剃髪所(愛染堂)」
弘法大師御剃髪堂」と、
二つのお堂がありました。
え?
こんなところで空海が出家剃髪?
そんな訳がないと思いましたが、
後日帰宅してから調べてみたら、
空海が唐からの帰国後、
都に戻る直前の大同四年(809)頃に、
こちらに滞在した可能性はあるんだとか。
出家剃髪ではないにしろ、
伸びていた髪を剃った、
史実はあるのかもしれない。



手水舎



さて、なるべく母を待たせぬよう、
急いで参道を上ったので、
約20分ほどで本堂前に到着しました。
汗がだらだらなので、
まずは手水舎で手を清めて、
汗をぬぐいます。


本堂



安政年間(1854-1860)に、
再建されたという本堂です。
御朱印を頂くと、拝観料を納めると、
内陣に入ることに出来て、
写真撮影もOKとか。
そりゃ、私が入らない訳がない。





本堂正面  本堂内
写経を納める


本堂正面に写経を納めていざ内陣へ。



本堂内陣右側より
弥勒菩薩  十一面千手千眼観世音立像
本堂内陣右側より



本尊は弥勒如来坐像、
左脇侍に文殊菩薩立像。
右脇侍に十一面千手観音立像を配し、
これが西国三十三所の札所本尊となります。
宝亀二年(771)のこと。
当時槇尾山寺に住していた、
摂津国の僧・法海の元に、
一人のみすぼらしい修行僧があらわれて、
夏安居の期間をこの寺で、
過ごさせてくれと頼みました。
予定の期間が終わって寺を辞去しようとする際、
客僧は帰りの旅費を乞いますが、
寺僧たちはそれを拒みました。
すると客僧は怒り出て行ってしまいました。
驚いた法海が後を追うと、
なんとその修行僧ははるかかなたの海上を、
沈みもせずに歩いていたとか。
これを見た法海があの修行僧は、
自分らを戒めるために現れた、
観音様の化身であったと悟って、
この千手観音の像を刻んで祀りました。



方達大観音  馬頭観世音坐像
諸仏



西国観音札所巡礼の、
中興者・花山法皇
こちらで困っていた際に
馬が道案内をしたそうで、
本尊と背中合わせの後堂には、
この馬頭観音坐像や、
方達大観音坐像、
元三大師坐像、
伝教大師坐像、
涅槃釈迦如来像など、
多数が所蔵されています。
以前は年間数日だけの、
ご開帳だったそうですが、
今ではとても珍しい、
写真撮影OKとなっています。



第4番御朱印




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