西國三十三所順打ち巡礼記

旧・元【東京】江戸御府内八十八ヶ所順打ち巡礼記【遍路】

【西国第十九番】霊麀山 革堂 行願寺

宗派 天台宗
本尊 千手観世音菩薩
ご詠歌 花を見て いまは望みも 革堂の 庭の千草も 盛りなるらん
604-0991 京都市中京区寺町通竹屋町上ル行願寺門前町
公式サイト https://kaudau.jp/




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門前商店街駐車場のカローラツーリング



さて、第十八番・六角堂から、
第十九番・革堂に正午に到着しました。
お寺に駐車場はないのもで、
門前の商店街のタイムズに、
カローラツーリングを停めました。



革堂行願寺山門  境内



さて、こちらは平安時代
一人の猟師が身ごもった雌鹿を射て、
その雌鹿の傷口から血潮とともに、
子鹿の誕生するのを見てしまい、
殺生の非を悟って発心し、
仏門に入り行円と名を改めました。
行円はその雌鹿の皮を、
常に身につけていたことから、
皮聖・皮聖人などと呼ばれ、
それによって寺の名も、
革堂と呼ばれるようになったとか。
行円の生没年は未詳ですが、
比叡山の横川出身の聖と推定されています。
藤原道長の三男、藤原顕信は、
寛弘九年(1012)、行円の元で剃髪出家するなど、
貴賤を問わず多くの信者を集めたそうです。
長和五年(1016)には、
多くの人を集めて粟田の道筋の石を除きました。
賀茂神社の槻木をもらい、
観音像を刻み行願寺を建てて安置し、
行円にちなみ革堂と称されます。
保延六年(1140)、多宝塔が落雷で焼失。
その後、多宝塔は再建されるも、
仁平元年(1151)に多宝塔を含めて、
多くの堂が火災で焼失。
仁治三年(1242)にも放火により、
門や幾つかの建物を残してほぼ全焼します。
度々の災火により寺地を転々とし、
宝永五年(1708)の大火の後、
現在地に移されました。



本堂




現在の本堂は、
文化十二年(1815)の建立で、
本尊は行円上人の作と伝えられる、
本尊千手観音像を祀っています。
こちらは西国三十三ヶ所で、
唯一の尼寺なんだそうです。



本堂から山門を眺める




本堂から山門方面を振り返り眺めます。
こちらは地域猫に餌場や寝ぐらを提供しており、
「猫の寺」としても知られているようですが、
猫たちは台風接近に備えて、
安全な場所に避難しているそうです。



本堂左手  



山門を入って小さく見えた境内ですが、
本堂に向かって左手に伸びる参道があり、
まだ少し境内が続くようです。



左手奥の諸堂  鐘楼



庫裏の他にも愛染堂や、
安土桃山時代の建立の寿老神神堂、
北辰妙見菩薩を祀る鎮宅霊符神堂、
文化元年(1804)再建の鐘楼など諸堂が並びます。



百体地蔵  小祠と巨大な五輪塔



百体地蔵の奥にある、
この大きな五輪塔は、
加茂大明神五輪塔とか。



五輪塔内の石造加茂大明神坐像



水輪の部分がくり抜かれて、
一見、不動明王に見えましたが、
これは加茂大明神とのこと。
ん?、賀茂大明神の本地仏って、
観音様じゃないのかな?



第19番御朱印



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