大村益次郎像

大村益次郎

102-8246 千代田区九段北3-1-1 靖国神社



東京三大銅像
二つ紹介しちゃったらこちらもやらずにはすみません。
ただし、靖国神社には今日は参拝していません。
銅像の写真だけ撮って、本殿に一礼して帰りました。
靖国神社については折をみて語らせていただきますが、
長くなってしまいますので、
今回は大村益次郎像についてだけ書かせていただきます。




大村益次郎こと村田蔵六
「蔵六」という名は昔の人に多いのですが、
別に六番目の子というわけではありません。
穴の六つある倉のようなもの。
つまり「亀」を表し、長寿を祈っているんですね。
蛇足になりましたが、改名した大村は長寿を得られませんでした。
明治二年(1869)暗殺されてしまいます。



彼については知らない人も多いので簡単に説明します。
文政七年(1824)周防の医者の家に生まれ、
緒方洪庵について蘭学を学び
江戸に出て私塾を開いた後、
幕府の講武所教授に呼ばれ兵学者としてもその名を高めます。
長州に戻り、第二次長州征伐の幕府軍を破り、
戊辰戦争では上野の山にたてこもる彰義隊を瞬時に討伐します。
こちらの銅像はその時の彼の勇姿であり、
彼の像は今も上野の方向を見つめています。
靖国神社の前身である、
戊辰戦争戦没者を祀る「東京招魂社」の創建に際して、
場所の選定のためにここを視察したとされ、
こちらの主な創建者の一人としての、
明治二十一年(1888)にこの像がここに建ったのです。
銅像遠景   

しかしこの銅像、高い高い台の上に立ちます。
はっきり言ってよく見えません。
靖国神社の公式ページには高い所からとった写真があります。
http://www.yasukuni.or.jp/annai/keidai/21.html



さてこの銅像
発案は山田顕義
彫刻は大熊氏廣という人。
鋳造はなんと東京砲兵工廠という変り種。




なんと、日本初の最古の西洋式銅像なんですね。
銅像ファンは必見です。
ただし近くでも望遠鏡がいりますよ。
高くて遠いですから。




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