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祭神 警視庁及び東京消防庁等の特別功労者二柱と殉職者二千五百十柱
102-0091 千代田区北の丸公園2-4
折角ここまで来たついでなので、
いつか紹介しようと思っていたスポットへと足を伸ばします。
北の丸公園の北の玄関、
田安門と日本武道館のちょうどすき間です。
なんの案内板もなく、
ただこの「彌生慰霊堂」と標された石柱と、
阿吽の狛犬が祀られています。
ただし鳥居はありません。
段を上がればちょうど田安門の上にでる形です。
やはり鳥居はありませんが、
いくつか古い石灯籠が並びます。
実はこの「弥生慰霊堂」、
元々は弥生式土器と同じく、
当時の本郷区向ヶ岡弥生町に、
明治十八年(1885)に創建された招魂社「弥生神社」。
警視庁(当時は消防も管轄)の殉職者と特別功労者を、
神として祀った正真正銘の神社でした。
その後幾度かの遷座を経て、
戦後政教分離後の昭和二十二年(1947)に現在に移り、
「弥生廟」と改称されました。
鳥居等を取り除き、完全に無宗教の形式になったのは、
まだ新しく昭和五十八年(1983)のこと。
この時、現在の名称になりました。
この吹き抜けの土間を拝殿と呼んでよいものか。
この元・本殿は完全に、
神明造のものに少し手を加えたものです。
政教分離もそれは大事ですが、
ここまでやる必要があるのか。
ならばいっそのこと、
近所の靖国神社の境内に移り、
末社として祀られるべきではなかったのか。
ちょっと疑問に感じてしまう「慰霊堂」です。
本殿右手にあるこちらは、
まったくといっていいほど無関係。
「昭和天皇御野立所記念碑」。
大正十二年(1923)昭和天皇が摂政だった頃に遭ったあの関東大震災。
昭和五年(1930)に、天皇が自らここにお立ちになって、
その復興を御視察なされた最初の場所なんだそうです。
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*1:この慰霊堂は厳密に言えば現在神社ではありませんが分類上【他の神社】とさせていただきます。