262-0042 千葉市花見川区花島町308
公式サイト http://www.city.chiba.jp/toshi/koenryokuchi/kensetsu/hanashimatop.html
→ 花見川 その一
セント・メリーのリボン
の、「花見川の要塞」を読んで、
子供の頃に遊んだ花見川が思い出されました。
なんと昔遊んだ隣接していた雑木林は、
公園に整備されているようです。
お弁当持って、ビール持って、行ってみましょう。
義母と五人で行ってみました。
大きな芝生の広場、
人工的な渓流、
蓮の咲く池。
そして、もう盛りは過ぎてしまいましたが、
花見川の土手にコスモスが咲いていました。
なかなか、いい公園です。
花見川も濁ってはいるけれども、
私が子供の頃のような、
洗剤の泡はありませんでした。
先日にもちょっと触れましたが、
この川は人口のものです。
上流を「新川」、
大和田排水機場より下流を「花見川」と名をかえますが、
正式の名を「印旛放水路」といいます。
(「印旛疎水路」ともいいます。)
17世紀中頃、利根川が現在の流路に変更されると、
大雨の度に印旛沼と手賀沼に水が逆流し、
大きな被害をもたらしたそうです。
そこで、治水と新田開発を兼ねて、
印旛沼の干拓が計画され、
最初に17Kmの掘割を作って、
江戸湾へ落とそうとしたのは、
享保九年(1724)の享保の改革でのこと。
江戸時代何度も何度も挑戦されたものの、
結局失敗し続けちゃいます。
田沼意次も罷免されちゃいました。
その後の水野忠邦も失敗。
手伝普請の五藩から、
多くの人が命を落としたそうです。
結局、昭和二十年(1945)に、
戦後の食糧不足と引揚者対策の為、
緊急開拓事業が農林省の直轄で着工され、
完成したのは昭和四十四年(1969)のこと・・・。
やっとで作れたこの人口のこの川が、
豊かな自然を残す役割を担うなんて、
ちょっと面白いです。