仏母山 駒形観世音・駒形大仏

駒形観世音・駒形大仏

宗派 浄土宗(でしょ?)
本尊 馬頭観世音
263-0005 千葉市稲毛区長沼町28




中山法華経寺の中山大仏鎌ヶ谷大仏を紹介してしまったら、
「北総三大仏」の残り一つの「長沼大仏」とも呼ばれる、
こちらの大仏様も紹介せねばなりません。
名前は知っていましたがお参りするのは初めてです。




うちのマンションの前から県道69号線・御成街道を、
ただただ一本道に下れば30分足らずで到着します。
東金御成街道徳川家康の鷹狩りの為の道であったので、
歴史のある街道らしく由緒のある史跡が多く残ります。




境内入口の左の石柱碑には「駒形大仏」、
右には「仏母山 駒形観世音」とあります。
山号」は「仏母山」とありますが、
院号」「寺号」はありません。
石仏
境内にはこの如意輪観音等の石仏や、大師堂らしき祠、
そしてお墓がポツンポツンと建っていますが、
寺務所に見えた建物は、地元の公民館のようで、
常駐している方はいないようです。
お寺としては機能していないんですね。
覆屋
本堂参道右手のこの覆屋の下に、
大仏様はいらっしゃいました。
大仏近影 
男性らしい凛々しいお顔。
なかなかの美男です。

高さは2.4m。
一丈六尺(約4.8m)以上の立像か、
八尺(約2.4m)以上の坐像であるという、
「丈六」を満たしています。
正々堂々、大仏様です。
定印
どこかでこちらの写真を見たときに、
印相(手や指の組み方)が、
阿弥陀様特有の「九品来迎印」ではなく、
この「法界定印」だったので、
私こちらの大仏様も、
他の「北総三大仏」のお二つと同じく、
釈迦如来だと思ってました。
阿弥陀如来だったんですね。




こちらの大仏の歴史。
元禄十六年(1703)、
この辺りの長沼新田を拓いた、
江戸の薬種問屋の野田源内さんが願主となり、
近郊六十ヶ村の念仏講中から浄財を集め、
浅草の鋳物大工・橋本伊左衛門重弘さんが製作して、
検見川浜から一ヶ月かけて陸路を運び、
千葉の大巌寺(浄土宗)の十六世、
然誉上人沢春大和尚が開眼しました。
念仏講中名
江戸六地蔵と同様に、大仏様の肩や背中には、
浄財を寄付した念仏講中のお名前がぎっしりと刻まれています。
この大仏のこの覆屋は、
実は平成二年(1990)に作られたものなんだそうです。
それまではずっと約三百年露座でした。
やっぱり近年の酸性雨で一部に溶解が生じたので、
急いでこれを建てたそうなんだけど、
こんなとこでもやっぱり、
環境問題を考えさせられるとはねぇ・・・。
観音堂
然誉上人は、大仏建立開眼と同時に、
馬頭観音を本尊として、
この観音堂も建立したそうです。
本堂内
中を覗くと、ホコリにまみれた堂内に、
ポツンとこの扉の閉まった厨子が置かれていました。
この中にいる馬頭観音さんはとても寂しいでしょうね。
なんだか可哀想だなあ・・・。



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