大原大宮神社

大原神社の鳥居

祭神 伊奘冉命、伊奘諾命
七年祭での役割 叔母
275-0002 習志野市実籾1-30-1



 
先日のナポリタンの記事にも登場した、
お隣の奥さんがやっている家庭農園なんですが、
この三連休に行けないそうで、
「何日も収穫しないと、
野菜がオバケのようにでかくなってしまい、
食べられなくなっちゃうから、
代りにとって食べちゃってちょーだい。」
と、頼まれたそうで、
家族揃ってサイクリングで行って見ました。




その途中にある東金御成街道沿いのこちらの神社に、
ちょっと立ち寄り、
実は初めてお参りしてみます。
元々こちらは天治元年(1124)に、
実籾本郷という、
ちょっと離れたところに創建されていましたが、
文禄元年(1592)に、
現在のこの場所に遷座されたそうです。



神社のご由緒や、他のサイトには、
徳川家康の鷹狩りの、
「御成街道」の完成に合わせて遷座なんて、
書いてありますけど、
御成街道の造成は慶長十九年(1614)のこと。
文禄元年(1592)では、関ヶ原の八年前・・・
??ちょっと違うでしょ。
と、つっこみを入れたいところ。
拝殿  
また、こちらは以前紹介した、
三山の七年祭では、
「伯母」として参加します。
なぜ、「伯母」なのかといえば、
三山の二宮神社主祭神が「建速須佐之男命」(スサノオ)であるのに対し、
こちらの主祭神が「伊奘冉命」(イザナミ)であるからなのでしょう。
厳密に言えば
「アマテラス」「ツクヨミ」「スサノオ」は
イザナミ」の死後に、
黄泉の国の穢れを落とした禊で、
イザナギ」から生れた出た神ですけど、
まぁ「伯母」ならば当たり障りはないのかなぁ。
スサノオ」は黄泉の国に行き、
イザナミ」に逢いたいと泣き止まずに追放されました。




それから、こちらも「イザナミ」(大原・母)が主祭神ながら、
イザナギ」(大宮・父)をも祀っている訳ですが、
イザナギ」「イザナミ」の二神を祀る神社って、
いつも不思議に思うんです。




イザナギ」と「イザナミ」について簡単に書きます。




イザナギ」と「イザナミ」は日本を作った最初の夫婦神。
イザナミ」は火の神「カグツチ」を生む際に、
陰部を火傷して亡くなり、黄泉の国に行ってしまいます。
諦めきれない「イザナギ」は黄泉の国に行き、
イザナミ」に逢いに行きますが、
そこで腐敗して蛆(ウジ)がたかり、
雷に乗った「イザナミ」の、
おそろしい姿を見てしまった「イザナギ」は、
おもわず逃げ出してしまいます。
追いかける「イザナミ」、逃げる「イザナミ」。
黄泉比良坂で「イザナギ」と「イザナミ」は離縁しますが、
この時、怒れる「イザナミ」は、
「毎日人間を千人殺す。」といい放ち、
それに対して「イザナギ」が、
「ならば一日に千五百人の産屋を建てよう。」
と、宣言します。
この壮絶な夫婦のやりとりが、
人間の短い寿命を定め、
「穢れ」や「祓い」の概念を生み出しました。




それから何年経ったのかは分かりませんけど、
この元・夫婦、一緒に祀っていいものなのでしょうか。
どこかで「和解」しているんでしょうか。
ここで「縁結び」をお願いしてもいいんですか。
・・・大丈夫?。




さて、話はそれますが、
神社には戦前「社格」というものがありました。
官幣大社」とか「勅祭社」とか、
戦後に廃止され、現在ではみな頭に「旧」がつくんですけど、
こちらは昭和五十一年(1976)に、神社本庁から、
各県に一社から二社しかない、
「第一次規範神社」に指定されたそうなんです。




この「規範神社」ってなんなんだろう。
検索してもほとんどヒットしません。




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