国指定史跡 上総国分尼寺跡
290-0073 市原市国分寺台中央3-5-2
展示館公式サイト http://www.city.ichihara.chiba.jp/webkouhou/amadera/p_a_3300.htm
今日はお休み。
かみさんと二人で、
息子達の小学校のお母さんたちが出場する、
ママさんバレーの大会を観に行きました。
楽勝だった一回戦を観終えても、
子供達が帰ってくるまでは、
まだまだ時間があります。
久しぶりのいい天気。
絶好のドライブ日和♪。
あ、そうだ。
先日、閉館時間で観れなくて、
再訪を誓った、
「上総国分尼寺跡展示館」に行って見ようよ。
プチ・ジロリアーナなかみさんも、
「ちばから」に釣られて付いて来ました。
小さな展示館ですが、
なかなかの内容です。
出土品と同時代の資料を合わせ、
丁寧な説明がされています。
我々二人の訪問と同時に係員の方が、
この上総国分寺と国分尼寺の、
20分の説明映画を勧めて戴きました。
ほとんど貸切状態です。
映画の後は、
精巧な国分尼寺の模型の前で、
レーザーポインターを使って、
またまた丁寧な説明を受けます。
ぐるりと回転する模型にビックリ。
すると模型の後ろがパッとと素透しになり、
復元された建造物がバックにどどーんで、
二度ビックリ。
・・・やられました。
僧寺にあったという、
高さ63mあった七重塔については、
前回触れました。
この塔の本尊(?)は仏舎利ではなくて、
この金光明最勝王経というお経だったそうです。
まあ、このお経から、
聖武天皇は国分寺を建立した訳ですから、
当然といえば当然です。
この日本一巨大だったといわれる国分尼寺の、
ご本尊のものとおもわれる螺髪は約3cm。
おそらく丈六のお釈迦様だったようです。
つい三十数年前まで、
この地は、国分尼寺が荒廃した後、
ほぼそのままピーナツ畑になっていたそうで、
その井戸の跡からは、
様々な出土品が発見されました。
この土器には、「法花寺」と墨書されています。
国分尼寺の正式名称は「法華滅罪之寺」。
当時は「法華経」を、
「法花経」と記すこともあったのでしょうか。
さて、展示館を出て、
復元された建造物へとむかいます。
いきなり何故か、
中途半端な竪穴式住居がありますが、
これはこの当時、庶民はこんなもんに住んでいたという、
参考物件というやつでしょう。
今の金額で言えば、
二千万という年収を得ていたという、
エリートの尼さんたちの修行する、
天下の国分尼寺の境内にこんなもんがあった訳はありません。
市原市が運営しているようですから、
宗教色が強くなるため、
本堂である金堂は復元出来なかったのでしょうか。
復元された中門と回廊の真ん中には、
市原市と記された、
金灯篭が安置されています。
だけどもどうして、
なかなか立派なもんですよ。
古来の「かんな」で削ったという柱は粗削り。
朱色も古来のもののようで指で触ると赤く染まります。
(よく見ると触っちゃダメって書いてありました。ごめんなさい。)
軒先の瓦の一つ一つまで、
出土した瓦を忠実に再現しています。
私が天平の甍に夢を馳せていると、
かみさん、うれしそうに巨大なきのこを採ってきました。
「気持ち悪いから、それ捨てなさいって。」
「子供のお土産にする。」と言って捨てません。