於玉稲荷神社

於玉稲荷神社

祭神 倉稲魂命豊受大神
124-0024 葛飾新小岩4-21-6
公式サイト http://www.miduho.gr.jp/otamainari/




→ 【他の神社】繁栄お玉稲荷(お玉が池跡)



一昨日、神田・岩本町のお玉が池跡にある、
「繁栄お玉稲荷」という小さな祠にお参りして、
このブログの記事を書く為に、
「お玉稲荷」について、
古地図を調べたり、他のサイトを検索してみると、
お玉が池跡にあった於玉稲荷神社は、
安政の大地震で火災に遭い灰燼に帰してしまったので、
明治四年(1871)に、将軍家鷹狩りの小松の里にあった、
その分社へと、この本社を遷座したのだと知りました。




思い立ったらすぐに行動の私です。
新小岩駅で途中下車してさっそくお参りしてみました。
本殿  
この写真や、公式サイトでみるよりも、
もっと小さな住宅街の中の神社です。
手水舎には水が無く、
仕方ないのでとりあえず「エア手水」。
鉄筋二階に上り、お参りした後、
いつものように丁寧に境内の石碑等を調べます。
これがどうも「挙動不審」に見えてしまう様です・・・。




「何かお調べですか。」




優しい笑顔の宮司様にお声を掛けて頂きました。
この「不審なお参ラー」な、
私のマニアックな質問に対して、大変ご丁寧な説明と、
詳しいパンフレットをありがとうございました。




さて、こちら、
ご祭神は、勿論「倉稲魂命」であり、
代表的なお稲荷様そのものなんですが、
多くの稲荷神社にあるように、
こちらの解釈は、神宮外宮の「豊受大神」と、
同一の神であるという説を支持しています。




四谷怪談で有名な、
於岩稲荷田宮神社は、
主祭神は「豊受比売大神」としていますが、
勿論「田宮於岩命」も合祀されていました。
しかし今日のこちらの神社にも、
神田の「繁栄お玉稲荷」にも、
祭神に「於玉命」は祀られていないそうです。




そもそもこちらは、
お玉の冥福を祈るための建立ではなく、
元々、桜が池、池畔にあった稲荷神社が、
お玉の身投げで池の名前が変わり、
あわせて神社の名も変わったのかもしれません。




「新撰江戸東京図会」に、
太田道灌やも足利義政の崇敬、
伊達政宗の参詣という記述があるそうですが、
お玉の悲劇、現代にに残る伝説が少なすぎます。



お玉さんの入水自殺の原因も、
「二人の男性に同時に求婚されて悩んで身投げ説」と、
「世話になった養父が亡くなり、後を追って身投げ説。」と、
諸説様々、定まらないそうです。




やっぱ、歴史散歩は楽しいなぁ〜。




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