西國三十三所順打ち巡礼記

旧・元【東京】江戸御府内八十八ヶ所順打ち巡礼記【遍路】

市原幸次郎氏 殉職碑

市原幸次郎氏 殉職碑

289-1725 山武郡横芝光町尾垂




【史跡・記念碑】成田山御本尊上陸之地 → その一その二




いつもの九十九里に来ています。
携帯からの更新なので見苦しくてすみません。




さて何度かお参りしております成田山御本尊上陸之地ですが、
その参道入口の鳥居をくぐったすぐ左手にこんな碑がありました。
薄れかかった碑文を読んだら、なんだか感動しちゃいまして、
その感動をお分けしたくて碑文をここに写してみました。



殉 職 碑


流るる雲よ 打ち寄する波よ しばし止まりて聴け
時昭和三十五年八月八日午後二時 
木戸浜海岸に遊泳中の学童突如大波に呑まる
折しも監視中の白浜PTA会長市原幸次郎氏 
ざんぶと海にとび込み十数分
荒れ狂う波と闘いつつ学童を救助し
自らは精根尽き果てて海中に没す
民こそりて捜索当たれども空しく遂に帰らず
齢三十有入君春秋に富み一家の柱石たり
しかるに幼子三児を残し人命救助の人柱となる
市原家は云はずともかな
人々の驚愕悲歎たとふべくもあらず
唯無常の風に涙をしぼるのみ
君は大正十一年七月四日 
市原喜一氏の嫡子として生を享け
長ずるに及び県立匝瑳中学校に学ぶ
第二次世界大戦勃発し
風雲急を告ぐるや現役志願兵となり
中国大陸の広野に展戦すること四年
その間戦車隊となり幾多の激戦に遭遇し
死線を突破すること二十数回
昭和二十年八月十五日 
部隊長より輝く殊動を認めらる
復員後傷痍軍人の身にもひるまず
一家の隆昌をはかりて又青年団消防団等の発展に寄与す
衆望止みがたく推されて第六代会長となり
日夜子どもの教育に全力を尽し着々その成果を挙ぐ
その高潔なる人格 不撓不屈の魂は
人をして感動せしめすんばやまさるの概あり
ああ尊し 慈し君の犠牲的精神を永く後世に留めんと
天地に旬がを祈願するも うたた悔根の情尽きず
松は緑砂白 九十九里に氏の御たまよ 永へに子らの守神となられよ

昭和三十六年一月
                  白浜小学校長  及川 志朗 撰文
                  光中学校長   佐瀬  武 謹書


本当に偉い人というのは、
こんな草の根にそっと埋もれているものです。




市原さんに助けられた方々でしょうか。
この碑は今でも大切にされているようで、
周りは奇麗に清掃されていました。




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