船橋市郷土資料館 〜明治天皇駐蹕之処〜

274-0077 船橋市薬円台4-25-19
公式サイト http://www.city.funabashi.chiba.jp/kyodo/aramasi.htm




私の住む習志野市には郷土資料館がありません。
隣接する八千代市には、八千代市立郷土博物館
千葉市にも千葉城を模した千葉市郷土博物館
近くの鎌ヶ谷市ですら鎌ヶ谷市郷土資料館があり、
すぐ隣の船橋市には、船橋市飛ノ台史跡公園博物館がある上に、
こちらの船橋市郷土資料館までもがあるのです。



何度も言っていますが、
子供達に郷土愛を持たせたいのならば、
規模は小さくてもいいので、
何らかの歴史や民俗を展示した資料館を作るべきです。
お願いします。習志野市長 荒木勇さん。




船橋郷土資料館 




さて本題の船橋市郷土資料館。
船橋市で一番古い歴史を持つ、
入場無料の小さな博物館です。
小さいながらも、船橋の歴史や文化を、
考古、民俗の資料を中心に展示しています。




さてこの博物館があるのは船橋市薬円台。
新京成電鉄にも「薬台」という駅があります。
この地が薬円台と名付けられているのは、
八代将軍、徳川吉宗の頃に遡ります。
享保の改革の一策として、
享保七年(1722)吉宗の命で、
医師の丹羽正伯と、
薬種商の桐山太右衛門が、
この地に小石川養生所の薬園を開発しました。
薬園が廃止された後も、
薬園台新田と呼ばれ、
現在、地名は「」が「」となりましたが、
上に挙げたの新京成「薬台駅」や、
その薬園の跡地に建つ名門として名高い、
県立高校は「薬台高等学校」と表記されます。*1



展示されているD51125  D51125現役時代の雄姿 




さて博物館の駐車場と隣接する薬円台公園には、
日立製の蒸気機関車
「D51−125」が展示されており、
その裏手にこの大きな石碑が立っております。




明治天皇駐蹕之処   




中央に旧字で大きく「明治天皇駐蹕之処」とあり、
左に「元帥陸軍大将公爵山縣有朋謹書」とあります。



→ 明治天皇駐蹕之処の碑 - Wikipedia




この碑は元々、船橋市習志野台4-59付近にありました。
平成六年(1994)にこの地に移されたものではありますが、
以前、このブログでも書いた、
西郷隆盛大将の指揮下、
抜群の活躍をみせた篠原国幹少将を、
明治天皇自ら、彼を近くに召して、
「篠原に習え」「習篠原」と誉め、
それが結果的に「習志野原」という、
地名の発祥ともなった、
明治六年(1873)の明治天皇観覧の、
陸軍大演習を記念して建てられたものものなのです。




→ 習志野ってどこ??




つまりは「習志野地名発祥の地」を示す碑なのです。
この碑の建てられた大正六年(1917)当時、
山縣は枢密院の議長でした。
裏面には陸軍大臣大島健一中将の碑文、
日高秩父*2の揮毫で、
ここがなぜ習志野原と命名され、
陸軍の操練場となったかが記されています。



碑・裏




明治六年の行事を記念して、
大正六年に建てられた碑が、
平成六年にここに移されたというのは、
単なる偶然なんでしょうか。(笑)
昭和六年、抜けてるもんね。




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*1:ただし、薬園台高校の最寄り駅は「薬園台駅」ではなく「習志野駅」。

*2:長三洲門下の書家、号は梅溪。1852〜1920