宗派 天台宗
本尊 十一面観世音菩薩
285-0023 佐倉市新町78
さて、千葉氏の後は、
佐倉藩最後の藩主、
堀田家の菩提寺にもお参りします。
佐倉の寺町に甚大寺さんはあります。
こちらは元々、天海が建立した出羽山形にあったお寺です。
延亨三年(1746)堀田家五代・堀田正亮が下総佐倉に転封となり、
一緒に移転してきたのです。
門前にも大きな石碑がありましたが、
堀田家六代・堀田正順が四国から勧請した、
金比羅尊が有名なお寺のようですが、
現在のご本尊は、堀田家十代・堀田正倫の念持仏の、
津田信夫作の十一面観世音菩薩。
しかし、金比羅様って、
釈迦の弟子、十二神将の一人、
「宮比羅大将」とも言われているのに、
日本ではなぜ神社に祀られることが多いのだろうか。
→ 堀田正順 - Wikipedia
→ 津田信夫 - Wikipedia
境内には、佐倉城の城門の上にあったという、
瓦製の鯱(しゃちほこ)一対が、
ポンと置かれていました。
さて、境内奥の広大な堀田家墓所です。
やはり大きなものはこの御三方です。
春日局の養子であり、
その従弟の稲葉正休に江戸城内で刺殺された、
堀田家初代、大老・堀田正俊。
「不矜院殿又新叢翁大居士」
日本開国の老中、
堀田家九代・堀田正睦。
「故佐倉城主侍従従位四位下紀文明公墓」
そして堀田家十代、
最後の佐倉藩主・堀田正倫。
「従二位勲三等伯爵紀正倫卿之墓」
う〜ん、久しぶりに、
大名家の墓らしい墓を満喫したなぁ〜。
「墓を満喫」ってあんた、いったい・・・。
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