宗派 時宗
本尊 海上月越如来(阿弥陀如来)
285-0013 佐倉市海隣寺町78
佐倉市役所に隣接する海隣寺さん。
このブログで時宗のお寺が登場するのは初めてですが、
おそらくどこかの時代に真言宗から改宗したものと思われます。
この小さな祠堂には、
弘法大師と思われる大師像が祀られていました。
また境内には、熊野神社が併設されています。
千葉氏ゆかりのお寺ですから、
千葉氏の家紋、
八曜紋と月星紋が合体した、
「八曜に月星紋」が寺紋のようです。
佐倉市役所に隣接しているというよりは、
むしろ広大な寺領が、陸軍墓地となり、
市役所になってしまったようです。
市役所の庭に、宗教色を避けた、
この戦没者慰霊塔が建立されています。
この慰霊塔の西隣の霊園奥に、
千葉氏歴代当主供養塔と伝わる、
十九の五輪塔・宝篋印塔が並んでいます。
こんな内陸・佐倉に、なぜ「海隣寺」なのか。
元々は千葉常胤が家臣と共に、
馬加(現在の幕張辺り)の海辺で月を観じていると、
海上に異光放つものがあり、
網で掬ってみると、
金色の阿弥陀様を得たそうです。
これを「海上月越如来」と名付け、
文治三年(1187)に馬加に一寺を建立したのだそうです。
千葉氏の庶家、馬加家が菩提寺としていたようですが、
戦国時代に千葉氏の本宗家を継承したのに合わせ、
このお寺も本佐倉城(現在の酒々井)に移転し、
更に現在のこの地に移ったとされています。
さて、この五輪塔・宝篋印塔群。
私にはどうも、それぞれの時代を経た、
歴代当主の墓とは思えません。
同じ阿弥陀如来の梵字が刻まれておるものが多く、
風化の度合いや、形式に一定の共通点が多すぎます。
ほぼ同じ時代に作られたものなのではないでしょうか。
墓好き素人の憶測なので、
怒らないで下さい。
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