荏原神社祭神 (品川貴船社)

祭神 中央 高龗神      
   右座 豊受姫之神 天照皇大神
   左座 須佐男之尊 手力雄之尊 他
140-0001 品川区北品川2-30-28
公式サイト http://www.ebarajinja.org/




渋谷から山手通りに出て、
天王洲に向かう途中、
北品川で偶然こんな看板を目にしました。

荏原神社祈祷者専用駐車場」

「荏原」という地名は、
現在、品川区内の町名の一つに過ぎませんが、
そもそもは武蔵野国の郡名としてあり、
維新後も東京府にも存在した郡・区であって、
現代の品川・目黒・大田・世田谷という、
城南地区の大半を占める地域を指す地名です。
この「荏原」を冠する神社といえば、
由緒が深くないはずはありません。
ましてやここは「東海道」の程近く。
こりゃぁ期待は膨らみます・・・。




天王洲での所用を済ませ、
山手通りを戻りながら、
ふと、思い出しました。




カテゴリーの【東京10】を作り、
その第一回の山王日枝神社で書きましたが、
明治政府は国家宗教としての神道を広めるためか、
元々江戸周辺にあった主要な神社12社を、
明治天皇の「勅」として、、
「准勅祭社」として定めます。
これが「原文」そのままに記すと、

日枝神社
根津神社
芝神明宮
神田神社
白山神社
亀戸神社
品川貴船社
富岡八幡神社
王子神社
赤坂氷川神社
六所神社
鷲宮神社

の12社です。




この内、ここで都心から遠隔地となる、
六所神社」と表された、
府中の大國魂神社と、
埼玉県鷲宮町鷲宮神社が外され、
「元」を冠し現在の東京十社が構成されている訳です。




私はそれをなんの疑問もなくそのまま信じ、
この「品川貴船社」が、
現在の品川神社であるのかと思い、何度か参りしましたけれども、
どうやらそんなに単純なものではないようです。





荏原神社一之鳥居




こちらにお参りしてみると、
やはりこちらにも堂々と「元准勅祭社」と、あるのです。




う〜ん・・・。
どちらが本当の元の「准勅祭社」なのか。
全国津々浦々「延喜式内」で、
もめているケースはいくつもありますが、
「准勅祭社」なんてついこの間の明治時代のことじゃんか。
また現在品川区内には別の「貴船神社」がありますが、
これまた別に違う由緒なのだとか・・・。




荏原神社拝殿



目黒川に沿う立派な拝殿・本殿。
どうやら、昔は、品川神社を「北の天王」、
荏原神社を「南の天王」として、
同時に壮大な天王祭が行われていた時代があったようです。




神社仏閣は、「元祖」や「発祥」を巡り、
互いに争いあうことが多くありますが、
おそらくこちらもその一つ。




明治天皇が京都・東京行幸の際に、
ここが内侍所であったという関わりを鑑みれば、
なるほどこちらの言い分も分かりますが、
そんなにムキになる必要はないと思います。




荏原神社神楽殿




だって、神楽殿も、社務所も、
なるほど御創健一三〇〇年の貫禄です。




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