高津比竎神社 

祭神 多岐都比売命・大己貴尊・木花開耶姫命・北斗北辰間宮庄五郎源高秀
七年祭での役割 娘
276-0036 八千代市高津294




最近、長男は膝に、次男は踵に痛みを訴えております。
長男の病名は成長痛の一種、
「オスグッド・シュラッター症候群」
通称「オスグット病」のようです。
八千代市高津にスポーツ医学・リハビリの名医がいると聞き、
ラーメン二郎は夜の部に「おあずけ」として、
家族総出で行って見ました。



スポーツ医学・リハビリの名医




さすがは評判の名医です。
凄い数の患者さんが待合室に溢れています。
こりゃ当分診察室には呼ばれません。
ちょっくらこの近所への歴史散歩です。




高津比竎神社




さてこの辺りの地名は、
この高津比竎神社からつけられました。
主祭神の多岐都比売≒高津比竎=高津姫。
何度かここに書いております通り、
菅原道真を左遷したために呪われたあの藤原時平とその一族。
高津姫は時平の娘とされています。




この下総七年祭りを構成する神社は、
みなこの時平伝説に関わっておりますが、
生き残った時平の遺族、一族郎党は、
荘園のあったというここ下総に流されて、
菊田神社(叔父)のある久々田、
現在の京成津田沼駅付近に流れ着き、
菊田川を遡って、現在の船橋市三山にある、
二宮神社(父)付近に住み着きました。
時平の娘、高津姫が念持仏の十一面観音を祀り、
道真や時平の霊を弔って一生を終えたのが、
この高津比竎神社(娘)の辺りであったという話です。



おそらく美しい姫の伝説であったことからか、
本来はスサノオの娘で大己貴尊=大国主に嫁いだ、
宗像三女神の一柱・多岐都比売命と混同され
そしてまたどこかで富士山・浅間神社主祭神
木花開耶姫命も合祀されたのでしょうか。
そして「北斗北辰間宮庄五郎源高秀」は、
幕末の旗本で地理学者の間宮士信。
彼は江戸に生まれ江戸に没しますが、
遺言で所領であったこの地に葬られたそうです。
これについてはこの後の高津山観音寺でまた触れます。




人気ブログランキングへ ← 二つのブログランキングに参加しております。
にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ ← よろしかったら応援クリックをお願い致します。