東京都指定史跡(東京都文化財)
101-0046 千代田区神田多町大通り〜日銀通り
いつもの通り、神田の街を歩いていると、
なんだかちょっと風変わりな「道路工事」がありました。
何かを造っているという感は無く、
みんなでマンホールを覗いては、
やいのやいのと騒いでいます。
これは「神田下水」の学術調査のようです。
神田下水をご存知でしょうか。
上のウィキの通り、神田上水は有名ですが、
「下」はとんとマイナーです。
ウィキにも記事はありません。
ここで簡単に説明します。
江戸末期から明治初頭にかけて、
度々江戸・東京に流行したコレラ。
明治十五年(1882)にも大流行したコレラは、
東京府下で死者5,000人越す死者を出しました。
これに脅威を感じた明治政府は、
都市衛生の公共工事を実施します。
政府の外国人雇い工師のヨハネス・デ・レーケの指導、設計で、
明治十七年(1884)〜翌十八年(1885)に工事をし、
完成したのが、この神田下水なのです。
なんとこのレンガの頑丈な施設は、
関東大震災や大東亜戦争の戦災をも無事過ごし、
125年経った現在も、現役の下水道施設としての、
立派に機能を果たしているそうです。
と、いうことは、
僕が神田の得意先で、用を足すと、
この文化財のお世話になっているということか。
凄いねぇ〜、昔の職人の仕事って。
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