元【東京】江戸御府内八十八ヶ所順打ち巡礼記【遍路】

習志野在住紀尾井町勤務の千葉都民。神社仏閣・歴史散歩、カメラ、自転車、バイクが趣味。ラーメン二郎(京成大久保店ホーム)・蕎麦が大好物。

西中山 宗光院 無量寺

無量寺の参道に咲いていた青い花

宗派 真言宗豊山派
本尊 阿弥陀如来
275-0002 習志野市実籾2-13-1



習志野七福神
2006.11.05 → 【弁財天】習雲山 瑠璃光院 薬師寺 
2009.02.15 → 【布袋尊】藤崎山 正福寺
2010.05.01 → 【大黒天】蓬莱山 慈眼寺
2010.05.01 → 【毘沙門天】無量山 地蔵院 西光寺
2010.05.01 → 【恵比寿】瑠璃山 東福寺
2010.05.01 → 【福禄寿】龍寶山 摩尼珠院 東漸寺
2010.05.05 → 【寿老人】西中山 宗光院 無量寺




さてGW最終日。やはり昨日のブログ記事作成の為、
昨夜と今日の午前中を費やしてしまい、時刻はもう昼過ぎです。
かみさんと子供達は、同じマンションの友達の家に出掛けました。
私は一人、長男のチャリを借りて、
知らぬ間にあと残り一箇所になっていた、
習志野七福神の寿老人にお参りしてこの巡礼を結願(?)しましょう。




大原大宮神社下の庚申塚や六十六部供養碑  東金御成街道沿いの豪農の門 




→ 大原大宮神社 - 旧・元【東京】江戸御府内八十八ヶ所順打ち巡礼記【遍路】跡地





東金御成街道をくだり目的の実籾のお寺へ。
歴史のある街道ですから、
以前一度ここに載せた、
この七年祭にも"叔母"として参加する、
大原大宮神社の東南の角には、
正徳元年(1711)や宝暦二年(1752)の庚申塚や、
寛政五年(1793)の六十六部供養塔があったり、
こんな豪農であったと思われる民家に、
巨大な門が作られています。





東金御成街道 無量寺 入口  無量寺の参道




お寺へは、この看板がなければ見過ごしてしまいそうな、
竹林のある砂利の小道を入ります。




無量寺 山門



なかなか渋い山門です。
この山門の脇から境内に入ります。




六地蔵等石碑群  宝篋印塔等石碑群




するとこの周囲には、
六地蔵や宝篋印塔、十九夜塔、念仏塔、そしてやはり六十六部供養塔と、
多くの石碑群がいくつもあります。



今年四月に完成した無量寺の新本堂と客殿




さて正面の真新しい本堂と客殿がドドーン。
数年前に伺った時には、新しくはないものの、
鉄筋コンクリートの近代的な造形の本堂だったような記憶があります。
どうやらこの四月にこの本堂と客殿が完成したばかりのよう。




無量寺 本堂と回向柱




→ 定額山 善光寺 ご開帳




善光寺のご開帳と同様に、
ご本尊と結ばれているであろう紐が、
この回向柱に結ばれていました。




本堂の扁額



寺号「無量寺」で分かりますが、
この扁額にもご丁寧に「無量寿閣」。
つまりご本尊は阿弥陀如来です。



→ 旧鴇田家住宅(実籾本郷公園)




そもそもこのお寺さん。
元々は日蓮宗の尼寺であったそうで、
武石氏の創建であったそうですが、
千葉氏滅亡後、衰退していたものを、
この辺、実籾村の名主・鴇田さんが現在地に移し、
聖徳太子作という阿弥陀如来を寄進して現在の名になったとか。
聖徳太子作の阿弥陀様だけでもビッグなのに、
なんと脇侍代わりに運慶作の聖観音もいらっしゃるそうで・・・。
それは廃仏毀釈で廃寺になった、
ご近所の旧・観音寺からの移籍組だそうです。



不動堂?  不動堂(?)の扁額



さて本堂左手には、
享和元年(1801)建立の不動堂と思われます。
しかし、この扁額の梵字が達筆すぎて、
良く分からない・・・。
これお不動様のカーンなんでしょうか。





大師堂と習志野七福神・寿老人  大師堂内の大師像と寿老人



この祠の中に、何名様ものお大師様と、
お不動様、大日如来が、
習志野七福神・寿老人とルームシェアしていました。




第三十六番ご詠歌  第三十七番ご詠歌




え?。四国遍路の第三十六番と第三十七番ご詠歌が・・・。
これと同じものを、吉橋大師の札所で何度か見かけました。
しかしここには吉橋大師に共通する白地に黒字の札所番号もありません。
まったく違う、大師講なのか。
それとも同じ番号がいくつかダブる吉橋大師ですから、
ここも一時期は、札所だったのかもしれない。
実際、御府内八十八ヶ所にも、二ヶ所同じ番号の札所があります。




→ 御府内九十ヶ所????




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