【坂東第二十三番】佐白山 観世音寺 (佐白観音)

宗派 普門宗
本尊 十一面千手観世音菩薩
ご詠歌 夢の世に ねむりもさむる 佐白山 たえなる法や ひびく松風
309-1611 笠間市笠間1056-1




41号つくば益子線を北へ岩瀬町へ戻り、
国道51号を右折して、
車は一路、笠間市内を目指します。




国道50線沿いにある笠間稲荷入口の鳥居




地図を見ながら国道50線を進み笠間市内に入ると
左手にこの朱色の大鳥居が見えました。
こりゃ間違いなく、これをくぐれというものです。
後に訪れる予定である笠間稲荷を横目に見て、
車は目的地である笠間稲荷神社外苑、佐白山に向います。



佐白山 観世音寺 入口



佐白山観世音寺の入口です。
こちらの開基は、殿様でも高僧でもなく、
白鳳時代の狩人の粒浦氏。
白雉二年(651)、この粒浦氏が獲物を占うと、
鏡中に霊木を護る白馬・白鹿・白雉が現れたので、
この霊木で観音を刻み、寺を建て、
山号を三白山としたとか。




境内


意外に小さな境内。
しかし祈りの歴史を深深と感じさせます。
建保二年(1214)地元の豪族、笠間時朝は、
この三白山を襲って僧を殺し、
笠間城を築城しますが、
後に自らの悪行を悔い、
焼失した本尊に代わる千手観音を祀りました。
鎌倉幕府に無断で兵を動員し築城したことは、
本来であれば、きつく咎められる所業ですが、
どうやら鎌倉幕府は忙しかったのか、
そのまま笠間氏は残ります。
これを観音の霊力と崇め、
「三白山」の「三」を「佐」(たすく)に代え、
「佐白山」として今に続きます。




仮本堂



後の戦国時代、笠間氏は滅び、
寺も衰亡したものの、
昭和になって現在の地にこの"仮本堂"が建ち、
幾度の遷座にも残った笠間氏奉納の本尊が祀られています。



仮本堂内の前立本尊と本尊の写真



厨子の前の前立本尊。
左下にはそのご本尊の写真がありました。
経本をみるとどうやら独自の組み合わせのようです。
宗派は「普門宗」となっていますが、
事実上は単立のようです。




第二十三番 朱印




納経所、あれは住職さまだったのでしょうか。
書き終えた私の朱印帳に、
小さな声で約数分間、お経を唱えて頂きました。




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