元【東京】江戸御府内八十八ヶ所順打ち巡礼記【遍路】

習志野在住紀尾井町勤務の千葉都民。神社仏閣・歴史散歩、カメラ、自転車、バイクが趣味。ラーメン二郎(京成大久保店ホーム)・蕎麦が大好物。

アントニウス・ボードウィン像 (ボードワン博士像) 〜兄弟が間違えられてしまった銅像〜

110-0007 台東区上野公園内
→ 「上野公園」の検索結果一覧 - 旧・元【東京】江戸御府内八十八ヶ所順打ち巡礼記【遍路】跡地




→ 西郷隆盛像 - 旧・元【東京】江戸御府内八十八ヶ所順打ち巡礼記【遍路】跡地
→ 野口英世像 - 旧・元【東京】江戸御府内八十八ヶ所順打ち巡礼記【遍路】跡地




さて、上野公園内にある銅像は、
ほぼすべて紹介したつもりではありましたが、
こちらと後もう一つがまだだったことに気づきました。






2006年以前の銅像




こちらはとても訳ありの胸像です。
実はつい四年前まで、この同じ台座の上には、
このハゲ頭のヒゲのおっさんがいらっしゃいました。



ボードワン博士像 近景



ところが突然、四年前のこと。
この髪があってアゴ髭のない、
この胸像に、すり替わってしまったのです。
当然、銅像に増毛してアゴ髭を剃った訳ではありません。



ボードワン博士像 遠景



さてこのボードワン博士というおっさん。
正確には名前をアントニウス・ボードウィン(1820〜1885)さんといいます。
オランダ生まれの医師で、
先に出島に滞在していた弟の招きで来日し、
ポンペの後の長崎養生所の教頭となりました。
明治維新後に再来日して新政府に仕えます。
彰義隊と明治政府による上野戦争の後の、
上野寛永寺の跡を病院にするという計画に反対し、
自然を残す公園に指定することを提言。
これにより上野恩寵公園の父として顕彰されて、
ここに銅像が建てられました。
しかしどういう訳か、最初に建てられた胸像は、
先に日本にいた弟のアルフォンス・ボードウィンの容姿でした。
最近になってそれが判明して、
四年前にこの兄の容姿の胸像に代えられました。




さて、余談ではありますが、
日本に検眼鏡を導入したのも彼であれば、
健胃剤の処方を持ち込んだのも彼であり、
これが今も「太田胃散」として現存しているそうです。



→ http://www.ohta-isan.co.jp/06company/index.html




人気ブログランキングへ ← 二つのブログランキングに参加致しております。
にほんブログ村 歴史ブログ 博物館・記念館へ ← よろしかったら応援クリックをお願い致します。