110-0007 台東区上野公園内
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さて、上野公園内にある銅像は、
ほぼすべて紹介したつもりではありましたが、
こちらと後もう一つがまだだったことに気づきました。
こちらはとても訳ありの胸像です。
実はつい四年前まで、この同じ台座の上には、
このハゲ頭のヒゲのおっさんがいらっしゃいました。
ところが突然、四年前のこと。
この髪があってアゴ髭のない、
この胸像に、すり替わってしまったのです。
当然、銅像に増毛してアゴ髭を剃った訳ではありません。
さてこのボードワン博士というおっさん。
正確には名前をアントニウス・ボードウィン(1820〜1885)さんといいます。
オランダ生まれの医師で、
先に出島に滞在していた弟の招きで来日し、
ポンペの後の長崎養生所の教頭となりました。
明治維新後に再来日して新政府に仕えます。
彰義隊と明治政府による上野戦争の後の、
上野寛永寺の跡を病院にするという計画に反対し、
自然を残す公園に指定することを提言。
これにより上野恩寵公園の父として顕彰されて、
ここに銅像が建てられました。
しかしどういう訳か、最初に建てられた胸像は、
先に日本にいた弟のアルフォンス・ボードウィンの容姿でした。
最近になってそれが判明して、
四年前にこの兄の容姿の胸像に代えられました。
さて、余談ではありますが、
日本に検眼鏡を導入したのも彼であれば、
健胃剤の処方を持ち込んだのも彼であり、
これが今も「太田胃散」として現存しているそうです。
→ http://www.ohta-isan.co.jp/06company/index.html
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