国指定史跡 称名寺境内
宗派 真言律宗 別格本山
本尊 弥勒菩薩
236-0015 横浜市金沢区金沢町212-1
ラーメン二郎湘南藤沢店を食後、
下道をトコトコと走り、
「称名寺&金沢文庫」にやって参りました。
しかし驚くことにどちらにも一般駐車場がなく、
オロオロと周囲を徘徊し、徒歩十分以上離れた場所に、
ようやくタイムズをハケーン。。。
この時点ですでにかなり疲れています。(^^;)
称名寺の表玄関、
赤門とも呼ばれている「惣門」です。
明和八年(1771)の再建。
惣門をくぐり、参道を歩くと、
途中左手にある塔頭の光明院の表門。
五寺あった塔頭の一位とされた光明院。
寛文五年(1665)の再建。
禅宗様の仁王門。
文政元年(1818)の再建。
そして身長約4m、
関東最大の金剛力士像。
元享三年(1323)の作。
仁王門をくぐり左手の芝生広場に立つ、
北条実時の胸像です。
さて、こちらの称名寺。
現在は奈良西大寺末の真言律宗の別格本山ですが、
元々はこの第二代執権・北条義時の孫、北条実泰の子、
この北条実時が六浦荘金沢の居館内に営んだ、
持仏堂から発したと推定され、
審海上人の開基とも言われております。
金沢北条氏二代である実時の子、
顕時が弥勒堂・護摩堂・三重塔を建立し、
元享三年(1323)三代・貞顕が七堂伽藍と庭園を完成させました。
浄土思想の荘厳の為、
浄土曼荼羅の構図に基づき、
金沢貞顕の時代に性一法師が携わり、
文保三年(1319)-元応二年(1320)に造園された庭園。
この阿字ヶ池から、対岸の金堂・釈迦堂を望む光景はまさに荘厳。
反橋を渡り、橋の上よりみる金堂は、
確かに彼岸であり、極楽浄土を彷彿とさせます。
「金沢八景」の一つ「称名の晩鐘」にある鐘楼。
「文永己巳仲冬七日」の旧銘と、
「正安辛丑仲和九日」の改鋳銘があるとか。
実時が文永六年(1269)に鋳造させた鐘が地震によって壊れ、
顕時が正安三年(1301)に改鋳されたといわれています。
これまた禅宗様の本堂である金堂は、
天和元年(1681)の再建。
荘厳で迫力のある様式です。
金堂の右手にある釈迦堂は、
文久二年(1862)の再建。
さて、元(社名略称)掃苔部、
部長・副部長のおマイラー二人は、
釈迦堂の裏手、称名寺市民の森入口より、
北条実時御廟を目指します。
横浜市民が見向きもしないような、
「市民の森」の急な山道をひたすら登り、
大汗をかいてようやくこの北条実時御廟下に辿り着きました。
この御廟中央にある宝筐印塔が、
北条実時の墓とされています。
上部の宝珠・九輪部分は欠損しています。
実時の墓から、向かって左に三基、右に二基、
そっくりな五輪塔が計五基あり、
これが金沢北条一門の墓とされています。
江戸時代にこの墓地を修理した際には、
素焼きの壺の類が出土したそうです。
来た道を戻るのも芸がないので、
そのまま山道・稲荷山通りを西に進みました。
これが意外にも上り下りの激しい難コース。
標高76m、金沢山頂上の八角堂広場に到着。
鉄筋と思われる八角堂がありますが、
中はガランドウ(笑)。
「称名寺&金沢文庫」を復興した大橋新太郎氏が、
昭和十年(1935)に建立したものだそうですが、
現在は寂しい限りの有様でした。
ただこの山頂からみる景色は絶景で、
南側には八景島と美しい青い海が広がっておりました。
さらに西側の急な「行田の通り」を下り、
下界へと下山します。
たったこれだけで膝が笑い、
明日は全身筋肉痛が確定です。(泣)
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