長等山 園城寺 (三井寺) 〜琵琶湖一周サイクリング(ビワイチ)二日日-1〜

宗派 天台寺門宗 総本山
本尊 弥勒菩薩
520-0036 大津市園城寺町246
公式サイト http://www.shiga-miidera.or.jp/





琵琶湖一周サイクリング(ビワイチ)初日→ 1234






→ 天然源泉の宿 ことゆう & スパリゾート雄琴 あがりゃんせ





ことゆうの大浴場




さて滋賀旅行三日目の、
ビワイチ二日目の朝。
連絡通路でつながっている、
日帰温泉「あがりゃんせ」は、
朝10時からの営業ですから、
チェックアウト前の朝風呂は、
ホテルの一階にある浴場のみ。
(チェックアウト時に無料券進呈あり)




天然源泉の宿 ことゆう  六時半に出発




素泊りですので、
朝食を待つ必要もないので、
朝六時半にチェックアウトで
さあ、ホテルを出発!!






ファミレスで朝食  朝食




しばらく走りまして、
坂本のファミレスで、
ガッツリ朝食を取りました。




ファミレスの窓から見た比叡山





ファミレスの窓からは、
雲に煙る比叡山の頂きが見えます。





大津の街に到着  大津港




さてさてスイスイ順調に、
大津の市街地に到着しました。
さすがは県庁所在地であり、
古の都であった大津です。
今まで見たどの琵琶湖周囲の、
市街地よりも開けています。
まずはチェックポイントのある、
大津港にやって来ました。





観光船  大津港チェックポイント




今日も台風の影響で、
観光船は欠航でしょうか?
いずれにしても、
まだ就航時間ではありません。
さてこのチェックポイントで、
無事に二人ともに、
四ヶ所のクイズに正解して、
琵琶湖一周認定証申請の、
権利を獲得しました。





大津市街地  琵琶湖疎水に沿って三井寺へ



さて大津の市街地から、
来た道を少し戻りまして、
琵琶湖の水を京都に送る、
琵琶湖疎水に沿って、
京都方向の山間を目指します。
ちなみに関西人の争いで、
京都や大阪の人が滋賀を貶すと、
滋賀の人は必ずと言っていい程、
「ほな琵琶湖の水止めたろか?」
と、決まり文句で脅すんだとか。
そやけど琵琶湖溢れたら、
滋賀県水没するんやないか?
知らんけど。(´-ε-`)




→ 琵琶湖疏水 - Wikipedia






観音堂下入口  三井寺境内図





ずーとお参りしたかった、
三井寺こと長等山園城寺の、
観音堂の下に着きました。
計算通り拝観開始時間の、
午前8時にピッタリと到着。
天台寺門宗の総本山で、
西国三十三ヶ所観音霊場、
第十四番札所です。
案内図を見れば、
さすがに広大な境内。
こちらの券売所は、
一見裏口のようにも見えますが、
受付の年配女性によれば、
開山以来千数百年、
由緒正しい入山口なんだそうで、
強い"三井寺愛"を熱く語ります。




日本天台三総本山のポスター




なんとなんと、
日本天台三総本山の、
比叡山延暦寺
長等山園城寺
戒光山西教寺の、
共通入場券が発売されているとか!
いろいろ歴史があって、
揉めて分かれて争った、
天台山門宗、
天台寺門宗
天台真盛宗ですが、
まさか現代に、
観光の為に手をつなぐとは、
驚き桃の木山椒の木、
ブリキにタヌキに洗濯機。




日本天台宗
三井寺の歴史、
智証大師円珍については、
さすがに今ブログで、
語る余裕がないもので、
不本意ながらWikiの記事を貼ります。
円珍天台寺門宗の宗祖で、
入唐八家*1)の一人。
弘法大師空海の甥?、
もしくは姪の子?にあたる人です。
ちなみに頭頂部がかなり尖がっています。





→ 天台宗 - Wikipedia
→ 園城寺 - Wikipedia
→ 円珍 - Wikipedia





観音堂の石段  観音堂から琵琶湖を望む





この後の残りのビワイチの為に、
足を残したい所ではありますが、
かなりキツイ石段でございます。
石段を上ってきると、
琵琶湖と大津の街を見下ろす絶景。
高さの違いこそあれど、
この景色は比叡山延暦寺と、
勝るとも劣りません。



観音堂




こちらが西国三十三ヶ所、
第十四番札所の観音堂正法寺で、
本尊は如意輪観音
貞享三年(1686)に火災に遭い、
元禄二年(1689)の再建。
またいつか写経納経と、
御朱印を頂戴する為に伺います。





百体観音堂と観月舞台  日本百観音の写し




観音堂の左には、
百体観音堂と観月舞台があります。
百体観音堂は宝暦三年(1753)建立で、 
正面三間・側面二間・宝形造。
堂内の正面中央に三井寺観音堂と同じ、
如意輪観音像を奉安し、
その中央に西国三十三箇所
右には坂東三十三箇所
左には秩父三十四箇所の、
御本尊写しを安置して、
日本百観音を祀ります。





観音堂から下に降りる石段  微妙寺





どうやら三井寺境内で、
一番標高の高いのは、
この観音堂がある場所のようで、
石段を下りまして北側に降ります。
この微妙寺は湖国十一面観音の、
第一番札所になります。




文化財収蔵庫



三井寺文化財収蔵庫は、
別に300円の入館料が要りますが、
正直ちょっと期待外れ...。
桃山絵画の最高傑作とされる、
国宝・勧学院客殿の、
狩野光信筆の襖絵や、
仏画、仏具などの、
重文を収蔵、展示しています。




勧学院門  勧学院内



その襖絵があった勧学院客殿は、
慶長5年(1600)の建立で、
国宝ですが残念ながら非公開。
何やら今改修中の様子でした。




村雲橋





この村雲橋は勧学院の石垣の、
築地堀の手前にあります。
ある日智証大師円珍が、
この橋を渡ろうとした時、
ふと西の空を見て驚きました。
円珍が入唐した際に、
学ばれた長安青竜寺が、
今火災に遭っていることを、
感知したのです。
真言を唱え橋上から、
閼伽水を撒くと、
橋の下から一条の雲が湧き起り、
西へと飛び去りました。
後に青竜寺から円珍に、
火災を鎮めた礼状が、
送られて来たそうで、
それ以来、この橋を、
ムラカリタツクモの橋、
村雲橋と呼ぶようになったとか。




重文・唐院入口  重文・唐院




唐院は重文の、
灌頂堂・唐門・大師堂と、
長日護摩堂等からなる区域で、
智証大師円珍が唐から帰国後、
請来した経巻法具などを、
納めたところであり、
円珍の廟所であり、
灌頂の道場であり、
三井寺内でも最も、
重視されている区域。




灌頂堂  長日護摩堂
三重塔  大師堂





正面に灌頂堂、
左に長日護摩堂、
右に三重塔があり、
奥に大師堂があります。
大師堂は慶長三年(1598)の再建。
三重塔は慶長六年(1601)に、
徳川家康寄進のものですが、
元々は奈良・比蘇寺のもので、
室町初期の建築とか。





一切経蔵  回転式八角輪蔵





一切経蔵も室町初期の建築で、
正面三間・側面三間、
一重・もこし付・宝形造りの桧皮葺。
三井寺山内には珍しい禅宗様で、
元々は山口・国清寺の経蔵で、
慶長七年(1602)、
毛利輝元により移築されたました。
輪蔵には高麗版一切経があり、
天井からは円空仏
七体が発見されました。
今この円空仏は、
金堂の廻廊に展示されています。




霊鐘堂
大釜と弁慶鐘  重文・弁慶鐘





霊鐘堂には大釜とともに、
「弁慶の引き摺り鐘」
と、いう古鐘があります。
無銘ですが、伝承では、
俵藤太こと藤原秀郷が、
ムカデ退治のお礼に、
琵琶湖の竜神から、
授かった鐘だそうで、
その後比叡山と、
三井寺の争いに際して、
武蔵坊弁慶が奪って、
比叡山に引き摺り上げますが、
鐘が「イノーイノー」と鳴ったので、
弁慶が怒って谷底へ捨てたとか。
確かに鐘の表面には、
擦り傷やひびがあります。
しかし史実では、文永元年(1264)、
比叡山による焼討で強奪され、
後に返還されたというのが、
本当のところかと。




国宝・金堂




さて、本堂である、
国宝の金堂です。
慶長四年(1599)、
散々と三井寺を苦しめた、
豊臣秀吉の死後に、
正室北政所の再建で、
正面七間・側面七間、
一重・入母屋造の、
向拝一間・桧皮葺。
本尊・弥勒菩薩は、
ここに安置されています。
なおそれ以前の金堂=弥勒堂は、
秀吉により奪われて、
延暦寺延暦寺に現存することは、
以前ブログに記しました。




→ 比叡山 延暦寺 - 元・【東京】江戸御府内八十八ヶ所順打ち巡礼記【遍路】




金堂の案内  金堂内の展示




金堂の回廊には、
先ほどの円空仏等、
数々の仏像が並べられており、
正直別料金の文化財収蔵庫よりも、
見ごたえがありました。





重文・三井晩鐘






金堂の左手前にある鐘楼には、
先ほどの「弁慶の引き摺り鐘」とは、
別物の「三井の晩鐘」があります。
鐘楼も同じ年の建立で重文ですが、
梵鐘は慶長七年(1602)の鋳造で、
平等院鐘、神護寺鐘と共に、
日本三名鐘に数えられています。






重文・釈迦堂  各朱印と釈迦堂の案内





食堂である釈迦堂も重文で、
天正年間(1573-1593)造営の、
御所清涼殿を下賜され、
移築したものと伝わります。
本尊の釈迦如来も清涼寺式の、
釈迦如来立像でした。





仁王門側の入口  重文・仁王門




まだまだ、
じっくり拝観したい、
スポットは多々ありますが、
今日は時間がないので、
また西国巡礼で伺います。
滞在時間は僅か、
一時間ではありますが、
午前9時にこの、
仁王門=大門から、
境外に出ました。
大門も重文で宝徳四年(1452)の建立。
元々は湖南市石部町常楽寺の門で、
後に秀吉により伏見に移され、
慶長六年(1601)、
家康により現在地移築したものとか。





護法善神堂の門  護法善神堂





さて境外からチャリを停めている、
観音堂下の券売所へと戻りましょう。
法善神堂(千団子社)は、
三井寺の守護神である、
護法善神鬼子母神)像を祀るお堂。
享保十二年(1727)建立で、
大津市指定の文化財





総門




総門から出て、
無事に三井寺愛に溢れる、
券売所のおばちゃんのいる、
観音堂の下に戻りました。
案の定熱く感想を聞かれましたが、
おばちゃんゴメン時間がないのよ。
またいつかお会いしましょう。

*1:最澄空海・常暁・円行・円仁・恵運・円珍・宗叡