宗派 日蓮宗 本山
本尊 三宝尊
270-0002 松戸市平賀63
来週日曜は祖母の四十九日法要と納骨です。
母方の墓がある八柱霊園に事前準備をする為に、
前日から実家に泊まり、今日は早朝から、
母と二人で松戸の歴史散歩に出掛けてみました。
「あじさいの寺」として有名な、
松戸の日蓮宗の古刹、本土寺。
開門時間8時の30分前に到着してしまい、
門前を意味もなくウロウロ。。。(;_;)
元々は源氏の名門・平賀家の屋敷跡とされて、
建治三年(1277)領主・曽谷教信の協力により、
領内の地蔵堂を移し法華堂として、
後に日蓮によって今の山号・寺号を授かりました。
池上の長栄山本門寺、鎌倉の長興山妙本寺とともに、
朗門の「三長三本」の本山と称される名刹です。
有名な紫陽花は1万株、
5000株の花菖蒲も有名ですが、
実は紅葉の名所でもあります。
ただ、まだちょっと早いかもね。。。
鐘楼と五重塔
日蓮宗、三聖人出生の聖跡といわれています。
日朗、日像、そして日輪。
その辺りは、私は門徒外ですので、
ウィキに解説をお願いいたします。
→ 日朗 - Wikipedia
→ 日像 - Wikipedia
→ 日輪 (僧) - Wikipedia
度重なる不受不施の法難と、
明治維新の廃仏毀釈により衰退し、
文化財に指定された建造物はありません。
翁(松尾芭蕉)の碑
文化元年(1268)の芭蕉忌に建立された、
翁(松尾芭蕉)の碑。
本土寺では「翁会」と称する句会が催され、
小林一茶も参加していたとか。
徳川家康の側室、甲斐武田一族・秋山虎康の娘、
於都摩、於津摩、または下山殿、妙眞院ともよばれる秋山夫人の墓です。
家康の第五子、武田信吉を生みました。
この墓石は信吉の甥にあたる水戸光圀が、
貞享元年(1684)に建立したものです。
水戸黄門こと徳川光圀については、
このブログに度々登場しております。
関連記事は下記参照願います。
→ 「光圀」の検索結果一覧 - 旧・元【東京】江戸御府内八十八ヶ所順打ち巡礼記【遍路】跡地
中央・巨大な日蓮、左右に日朗、日像から、
ずらりと立ち並ぶ本土寺・歴代貫首の墓。
まだちょっと早い紅葉ですが、
ところどころ、赤く色付き、
昨夜の雨にしっぽりと濡れて輝いておりました。
菖蒲池の畔から、宝物殿を望みます。
四院六坊がとりまき、十四間四面の本堂、
七堂伽藍があったという往時を偲ばせる山容です。
文永元年(1268)、日像が生誕時に、
湧き出たという乳出霊水とも呼ばれる、
日像菩薩誕生水。
正直、この手の井戸はあちらこちらにありますね。
その日像を祀る像師堂はセンサーに取り囲まれて、
お参りするとLEDらしき七色の電飾にピカピカ。(;゚Д゚)!
「花の寺」として親しまれている本土寺ですが、
「本土」とは「我此土」(わがこのど)。
つまり釈迦が、本佛となり住む国土のこと。
花はこの本佛に捧ぐ宝樹なのだそうです。
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