【関東第一番】雨降山 大山寺 (大山不動尊)

宗派 真言宗大覚寺派
本尊 鉄造不動明王(国指定重要文化財)
三十六童子 矜羯羅童子
259-1107 伊勢原市大山724
公式サイト http://www.oyamadera.jp/




夜の部の相模大野店を目指すことに計画変更し、
西台駅前店は残念ですが次の機会。
さて子供の頃に一度来た記憶がありますが、
前々から是非お参りしたいと思っていた、
「大山詣」をして参りました。
そしてなんとラッキーなことに、
今日二十八日はお不動さまの縁日で御開帳です。





江戸期の大山の図  第一番霊場の標石



左はそこいら中に貼られていたお土産用の「江戸期の大山の図」。
当時の隆盛と神仏習合の歴史が良く分かる資料。
右は前々からいつかやりたいと思っていた関東三十六不動霊場・第一番の標石。




→ 関東三十六不動霊場会・公式ホームページ・関東36不動



昭和六十二年(1987年)に開創された新しい霊場巡りだけど、
この標石はずいぶん迫力が出て来たね。



駐車場からケーブルカー駅までの石段  川の流れ



伊勢原市市営駐車場からケーブルカーの駅まで、
まだまだかなり距離がありえっちらおっちら石段を登山。





大山ケーブル駅  ケーブルカーの切符売場



ようやく辿り着いた大山ケーブル駅
当然、往復切符を購入します。
中間地点の大山寺駅は途中下車で出来るんだって。



ケーブルカー  ケーブルカーで登る



ケーブルカーとしては珍しく、
大きく右に曲がるカーブのトンネルを越えて、
ぐんぐん上ります。現代人はなんて楽チンな大山詣。



ケーブルカーがすれ違う大山寺駅の  大山不動尊御縁日の旗


ケーブルカーのすれ違う真ん中の「大山寺駅」。
ここから数分歩いて大山寺へ。
御開帳を示す仏教色の「大山不動尊御縁日」の旗が出ています。



大山寺の石段
  大山寺からの景色



童子が何人(?)も見守るこの急な石段の上に、
不動堂こと本堂があります。
まだ大山の中腹とはいえさすがの景色。




不動堂



あの良弁が天平勝宝七年(755)に開山したという大山寺。
二世は行基の高弟・光増、
三世は徳一の招きにより空海が入り、
五世は円仁の高弟・安然が伽藍を再興したというオールスター。
廃仏毀釈までは本堂はもっと山の上の、
今の阿夫利神社下社のある場所にあったそうです。
現在は真言宗大覚寺派ですが、
昔は八宗兼学の道場だったとか。
御開帳されていたご本尊、国指定重文の鉄造不動明王三尊。



→ 鉄造不動明王三尊



文永十一年(1264)、
江ノ島の龍穴にこもり大山寺再興の祈願をした願行が、
浜の砂鉄集め自ら土の型を作り刀匠正宗らに鋳造させたという。
鉄造不動大像と二童子像。
明治の初頭、廃仏毀釈の頃、
後ほど取り上げますが上の大山阿夫利神社では、
銅像まで作られている権田直助が暴徒を引き連れて、
この不動像を破壊しようと乗り込んで来た際には、
恐ろしい形相に一変して誰も手を触れることが出来なかったとか。
他でも聞いたことのある伝承ですが。。。




鐘楼と巨大な宝篋印塔




本堂左には鐘楼と巨大な宝篋印塔。
元々梵鐘は不動明王に帰依していたという、
三代将軍徳川家光の奉納品だったそうだが、
これまた明治に破壊されてしまい、
現在は銘文の「大檀那従一位左大臣源家光公」の、
一部分のみが阿夫利神社に保存されているとか。
宝篋印塔も寛政七年(1795)に旧境内に建立されたものの、
やはり権田直助軍団にバラバラ破壊されて谷底に投げ捨てられたものの、
信徒が丹念に拾い上げて大正三年(1914)にここに境内に再建されたもの。
関東大震災でまた上半分崩落したもののまた再建されました。



パンフレットと御朱印帳



やっぱりやってしまいましょうか。
関東三十六不動霊場巡り。




納経帳と御朱印帳  御尊影と御朱印




霊場会専用の差し込み式納経帖は三色から選べて1200円
あらかじめ書・朱印されているものを差し込むバインダータイプは、
ちょっとげんなりしてしまいますが仕方ない。。。
300円でその御朱印と札所本尊の不動明王童子の御尊影を授与されます。




さて、順打ちはさすがに無理かなぁ〜。
ゆっくり焦らずにお参りします。
そんな訳でカテゴリー【関東36】を作成しました。




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