讀誦山 成正寺 〜大塩平八郎墓〜

宗派 日蓮宗
本尊 十界曼荼羅
530-0053 大阪市北区末広町1-7
公式サイト http://www.nichirenshu-osakashi.org/map/tera_map/osakashi-hokubu/joshoji.html



大塩平八郎墓所の案内




二泊三日の出張最終日、
キャリーバックを引きずりながら、
曽根崎通りをあるいていると、
この「大塩平八郎墓所」の案内をみかけました。
大塩平八郎といえば言わずと知れた、
大塩平八郎の乱の首謀者。
わずか半日で制圧されて失敗し、
その後の歴史にあまり影響を及ぼさない、
「乱」の一つに数えられているものの、
元・与力が幕府に反乱を起こし、
旗本が制圧の為に出兵した、
島原の乱以来二百年ぶりの合戦と、
大塩平八郎の思想(陽明学)は、
後の明治維新の人々に大きな影響を与えました。
ただ大塩親子は火薬に用いて短刀で自決した後にも、
遺体を塩漬けにされた上、
市中引き回しにして磔にされたそうです。
著書はすべて禁書になったくらいですから、
お墓なんて作ることが許されたんだろうか。




→ 大塩平八郎 - Wikipedia
→ 大塩平八郎の乱 - Wikipedia




読誦山 成正寺  門前の中斎大塩平八郎墓所の碑



日蓮宗の読誦山・成正寺さん。
大塩平八郎の本家・分家ともに菩提寺だったお寺とか。
門前には大阪市が建立したこの号を上にした、
「中斎大塩平八郎墓所」の碑があります。




本堂




鉄筋コンクリートの本堂。
どうやらこちらも大東亜戦争の空襲の被害を受け、
初代の大塩平八郎の墓もその時に被災したようです。
初代といっても門人の文人画家・田能村直入が、
没後六十年の明治三十年(1897)になって建立したものだったとのこと。



大塩平八郎・大塩格之助墓  大塩平八郎墓石裏




さて現在の二代目は昭和三十二年(1957)の再建。
その際に墓地からここ本堂前に移築したとか。
左が養父「中斎大塩先生墓」、
右が養子「大塩格之助君墓」です。




大塩の乱に殉じた人びとの碑



本堂左手にはこの、
「大塩の乱に殉じた人びとの碑」があります。