西宮神社

えびす宮総本社・県社・別表神社
祭神 蛭子大神天照大御神大国主大神須佐之男大神
662-0974 西宮市社家町1-17
公式サイト http://nishinomiya-ebisu.com/




神戸から車で戻る途中、
立ち寄りがあった為に、
一般道だったもので、
こちらも課題にしていた、
神社にお参りしてみました。
現在「えびす宮総本社」を称する西宮神社ですが、
まずそもそも「えびす」様とは何か。。。



寶田恵比寿神社 
その → 
→ 堀川戎神社
→ 今宮戎神社
→ 恵比寿 恵比寿神社




今までこのブログで、
「えびす」と名の付く神社を挙げたのは、
わずかこの四社にに過ぎませんが、
祭神に「えびす」を含むものとなると、
かなりの数に及びます。
「大黒天」≠「大国主」と同様に、
いくつかの別の神があって、
事実上混同されいてるのです。
代表的な「えびす」様としては、
イザナギイザナミの最初の子でありながら、
不具であった為に海に流された「蛭子」。
大国主の子で国譲りを承知した「事代主」。
大国主の国造りに海の彼方から来た「少彦名」。
これらが代表的な「えびす」であって、
いずれも海で釣りをしている姿が共通します。
この内の「蛭子」が漂着した場所が、
ここ西宮だったという説があり、
「えびす宮総本社」たる所以ですが、
こちらはあの福男選びレースでも、
全国的に有名な神社です。




記憶の良い読者の方々は、
先日訪れた神戸・和田神社の元の地も、
蛭子大神が淡路島から流れ着いた場所と、
覚えていらっしゃることと存じますが、
どうかここでは忘れて先に進んで下さい。




→ 神戸 和田神社





えべっさん筋  大練塀  




阪神西宮駅前方向から、
国道43号線へ、
南北に伸びる道路は、
通称「えべっさん筋」。
庶民に愛されている福の神らしい名称です。
この筋と国道沿って、
この立派な大練塀が連なっています。





西宮神社  大練塀の案内




室町時代初期に再建されたという、
この現存日本最古の築地塀は、
全長247mで日本三練塀の一つ。
この前にこの西宮神社の由緒書もありました。




大練塀にある通用口  崩れている大練塀




大練塀には通用口もあり、
なかなかの佇まいですが、
所々、崩れかけたところがあり心配です。
阪神大震災ではかなりの被害があったとか。




大練塀の表面




震災後の復元かどうかは定かではありませんが、
大練塀の表面に練りこまれた石や砂を眺め、
しばし悠久の歴史に思いを馳せます。



一ノ鳥居  重文・表大門




さて、一之鳥居の奥にある、
朱塗りの重文・表大門は、
慶長九年(1604)に豊臣秀頼が再建したものとか。





表大門の案内  三月の祭典の案内




こんな重要文化財を、
スタートゲートにして、
押すな押すなと、
福男選びレースはスタートします。
毎年、門が崩壊しないかと心配です。
また門前の「三月の祭典の案内」には、
土地柄当然ながら、
阪神タイガース必勝祈願祭」
が、予定されておりました。




最初のストレート  境内の松林



福男選びレース、最初の直線ストレート。
右手には太い幹の松林が立ち並びます。



南宮神社  第一カーブ



第一カーブ手前の左手にあるのは、
西宮神社境内にありながら、
廣瀬神社の摂社とされる南宮神社。
そもそもこの西宮神社が、
廣瀬神社の摂社であったという説もあり
他にも様々な論争があるようなので、
ここではあえて触れずにおきましょう。




神馬舎  神馬




第一コーナーを曲がり、
第二ストレートに入ると、
この神馬舎があり、
中を覗き込むと、
失礼ではあるものの、
このユーモラスな神馬がいらっしゃいました。
ところで蛭子さん、
釣り竿持って馬に乗れるのかなぁ?
路線バスなら乗れるだろうが。。。



境内案内  福男選びの案内




第二ストレート中央左、
この境内と福男選びの案内がありました。




二ノ鳥居  最終カーブ




二之鳥居をくぐると、
すぐに拝殿に向かう最終コーナー。




祓所




最終コーナーの手前、右手に、
奥に結界が張られた祓所があります。




銅鐘  銅鐘の表面




最終コーナーを曲がった左手に、
神仏習合の名残りでしょうか、
西宮市指定文化財の、
「御戎之鐘」が保存されています。
こちらも豊臣秀頼の奉納だそうですが、
銘文にはこう記されています。

奉 建立攝州武庫郡 西宮
御戎之鐘 一口
諸行無常 是生滅法
生滅々己 寂滅為楽
大檀那武運長久息災延命之処也
洛陽三條 鋳物師
藤原徳左衛門 国宝作
慶長庚戌十五年三月八日
施主 敬白



拝殿  拝殿から仰ぐ本殿




さて福男選びのゴールである、
拝殿前に到着しました。
旧国宝に指定されていた社殿は、
昭和二十年(1945)の、
大空襲で焼失してしまいました。
拝殿から望む本殿三殿は、
向かって右が第一殿で蛭児大神、
中央第二殿が天照大御神と、
明治に配祀された大国主大神
そして左が第三殿で須佐之男大神を奉斎。




社殿  本殿の屋根




拝殿正面を奥に進み、
振り返って社殿全体を見ると、
三連春日造の本殿の屋根が望めます。




境内摂社末社





境内一番奥の摂社末社の一つに、
大国主を祀る「大国主西神社」がありますが、
ここにも実は複雑な歴史の変遷がありました。
今ではこの「えびす総本社」を称する、
ここ西宮神社ですが、
明治期に一度、蛭子=大国主説を取り、
延喜式内社であったという、
大国主西神社」であると、
改称した時期があったのです。
しかし当時から摂社にあった大己貴社が、
式内社大国主西神社である。
という説が挙がり、
大国主西神社は元の西宮神社に、
大己貴社が大国主西神社に改称されます。
しかし現・西宮神社の言い分は、
大己貴社は元々は神仏集合の、
不動堂であって、本来の式内社の、
大国主西神社ではないとして、
再びの改称を申し出たそうですが、
上申は拒否されてしまい、
現在まで放置されているとか。
てか?今更もう!、
大国さまになんかなりたくないっしょ!?





市杵島神社  神宮遥拝所




拝殿の正面の池はただの弁天池かと思いましたが、
島には市杵島神社と並び、お稲荷さん・宇賀魂神社、
そして伊勢神宮を拝する遥拝所が設けられています。




瑞寶橋





島と拝殿正面を結ぶのはこの「瑞寶橋」。
明治四十年(1907)辰馬悦叟氏が奉納しますが、
何か気に入らないところがあったそうで、
二代目の辰馬悦蔵氏が改修し、
大正十一年(1922)に完成したとか。





南門






さて、南門から国道43号に出て、
車へと戻りまして大阪へ戻りましょう。