式内社(名神大社)・官幣中社・別表神社
祭神 稚日女尊
650-0011 神戸市中央区下山手通1−2−1
公式サイト http://www.ikutajinja.or.jp/
最終日の午後は神戸市内でアポがありまして、
JR三ノ宮駅に降り立ちました。
駅前に神戸の名の由来となった大社、
生田神社が鎮座することは、
知識としてありましたが、
生田神社が三ノ宮なのかと誤解しておりました。
生田神社の八柱の裔神を祀った、
一宮から八宮までの神社、
生田裔神八社の中の三柱目、
三ノ宮神社が地名・駅名の発祥なんですね。
・・・知らんかったわ。
日本書紀によると、
神功皇后、三韓外征の帰途、
この港付近で船が進まなくなった際に、
稚日女尊が現れて祀られたというこちら。
当初は現在の新神戸駅の上にある、
布引山に祀られたそうですが、
延暦十八年(799)の大洪水で、
山の麓が崩れ崩壊するおそれがあったので、
この生田の森に遷座したそうです。
現在の神戸市中央区の一帯が、
全て社領であったことから、
「神地神戸」の神戸(かんべ)が、
この地の呼称となって、
紺戸(こんべ)、
神戸(こうべ)となり今に至ります。
御由緒と、境内見取り図です。
社殿は、昭和十三年(1938)の神戸大水害、
昭和二十年(1945)の神戸大空襲、
平成七年(1995)の阪神淡路大震災など、
何度も何度も被害にあうも、
その度に復興されたことから、
「蘇る神」としても崇敬も集めているとか。
藤原定家の歌にも詠まれたという生田の池。
昭和初期までは子供たちが泳げるほどに、
キレイだったそうですが、
昭和の中頃には水質が悪化して、
酔っ払いや子供が落ぬように周囲を、
柵で囲まれていたそうです。
最近は徐々に水質が向上し、
往時の景観を忍ばせるほどになりました。
源平の古戦場でもある生田の森です。
現代では、大樹が繁り、
心地よい涼しさを与えてくれる、
オアシス的存在。
しばしこちらで休息してから、
午後のアポに向かって戦闘開始です。