伽羅陀山 善名称院 眞田庵 (真田昌幸墓)〜真田古墳〜

宗派 高野山真言宗
本尊 地蔵菩薩
648-0101 伊都郡九度山町九度山1413






→ 信州松代 真田宝物館
→ 安居神社 〜真田幸村戦死跡之碑・真田幸村像〜
→ 真田山 三光神社 〜真田幸村像 その二〜
→ 「真田」関連の記事







数ヶ月前にケンヨーさんとツイッターで、
こんなやりとりをしたワタシですが、
今回のフリー切符は、
高野山・真田九度山1dayチケット」デス。
高野山ですでにクタクタではありますが、
極楽橋から橋本の間の九度山駅で途中下車。




九度山駅ホーム  九度山駅




六文銭、赤揃え一色の九度山駅のホーム。
九度山駅の外観もご覧の通り。
ちょっとやりすぎなんぢゃね。。。



下から見た九度山駅



そもそも九度山は、
女人禁制の為に高野山に入れなかった、
弘法大師空海の母が滞在していた、
女人高野とも呼ばれる慈尊院があり、
滞在中一ヶ月に九度以上も、
この20km以上の山道を下り、
母を訪ねたことに由来します。
慈尊院にもお参りしたかったんですが、
駅から少しありますので、
あいにく今日は時間切れ。。。



グラタン屋も六文銭  電柱の真田十勇士




九度山駅だけではなく九度山町の町中が、
今、真田ブームに沸いています。
グラタン屋さんもこの通り赤揃えの六文銭
電柱にはキャラクター化された、
真田家士、真田十勇士が描かれています。




真田庵 西門  真田庵 鐘楼門




九度山駅から歩くこと約10分。
伽羅陀山善名称院眞田庵に到着しました。
真田昌幸真田信繁(幸村)親子は、
関ヶ原の合戦後、高野山に蟄居を命じられ、
始めは山内の蓮華定院に身を寄せますが、
妻を呼び寄せた為に、
高野山の麓のこの地に移されます。*1
ここはその隠棲の草庵の跡地とされ、
信繁・大助の死から、九十九年後の、
寛保元年(1714)、高野山出身の僧・大安上人が、
お告げを受けて、地蔵尊の堂を建て、
真田公を地主権現として仰ぎ、
祀ったのがこちらとされているのです。




本堂  本堂近景



城郭風の本堂、八棟造が、
とても威風堂々としていて立派。
どうやら尼寺なんだそうですが、
僧侶の方のお姿をお見かけしませんでした。




雷封じの井



こちらは信繁がこの屋敷に落ちた、
雷を井戸に封じ込めて里人を救ったと伝わる、
「雷封じの井」ですが、
真田幸村伝説というと、
穴とか井戸とかが必ず付き物。




眞田地主大権現  眞田昌幸墓




こちらが真田家の宝物であった毘沙門天と、
真田三代の御霊を合祀したという、
眞田地主大権現で、
左脇には、真田昌幸墓と、
真田家臣一族墓と伝わる石塔があります。




真田宝物資料館



さて、真田宝物資料館。
無人ですがセンサーで音が鳴り、
入口にある箱に二百円を納めて、
セルフでパンフを一部頂戴するシステム。



宝物資料館内  六文銭入り陣幕



写真撮影禁止という案内もなかったので、
いろいろとカメラに撮らせていただきましたが、
もし本物だとしたら、
重要文化財以上のお宝がずらり。



槍先  真田幸村公直筆の書



六文銭入り陣幕、槍先、
真田幸村公直筆の書など、
正直ちょっと・・・な展示品ですが、
それはあーた、ここはやっぱり、
信じたほうが楽しいというもので、
野暮なツッコミは雷封じ井に封じました。



真田紐の展示




でもやっぱり、
真田紐の展示だけは外せないよね。
基本おそらく十四年間、
これしかやることなかったんだし。。。




真田庵 北門




真田庵を北門から出て、
真田道を200mほど駅の方向に戻ると、
面白い伝承のある史跡があります。



真田古墳(真田の抜け穴伝説)  真田古墳の案内



昔から地元の人々に、
「真田の抜け穴」呼ばれていて、
真田庵から外に脱出する為に、
真田氏の造った抜け穴と、
信じられていたそうですが、
昭和二十八年(1953)の調査で、
古墳時代後期の円墳の、
横穴式石室であることが判明したとか。




横穴式石室





その際に直接関連はないものの、
「真田古墳」と、
名付けられたんだそうです。
とても面白い由緒の古墳デス。

*1:九度山移住の理由は諸説あり。