国指定史跡 延暦寺境内
宗派 天台宗 総本山
本尊 薬師如来
520-0116 大津市坂本本町4220
公式サイト http://www.hieizan.or.jp/
→ 高野山 金剛峯寺
→ 特別展「最澄と天台の国宝〜天台宗開宗一二〇〇年記念〜」東京国立博物館 その三
今日は初の「山の日」とのことでお休みです。
当初は準優勝球児のホンチョクと、
甲子園観戦を予定していたものの、
急遽ホンチョクが仕事になってしまい断念。
一人で姫路城も考えましたが、
来月以降、兵庫方面に行く用事が増えるので、
それは後回しにして、
先月に高野山金剛峯寺をお参りしたからには、
今月は比叡山延暦寺のお参りを計画。
高野山が「日本の総菩提寺」ならば、
比叡山は天台宗では、
慈覚大師円仁、智証大師円珍、
元三大師良源、恵心僧都源信、
慈摂大師真盛、慈眼大師天海等、
また融通念仏宗開祖・聖応大師良忍、
浄土宗開祖・円空大師法然、
浄土真宗宗祖・見真大師親鸞、
臨済宗開祖・千光大師栄西、
曹洞宗高祖・承陽大師道元、
日蓮宗宗祖・立正大師日蓮を輩出した、
「日本仏教の母山」です。
張り切って朝四時前に起きて、
始発の次の御堂筋線で、
淀屋橋駅にやって来まして、
この比叡山横断チケットを購入。
これが周辺電車は勿論のこと、
ケーブルカー、ロープウェイ、
シャトルバス、連絡バスまで乗り放題で、
延暦寺の巡拝券まで付いていて、
なんとたった3300円と、
とってもお買い得。
→ https://www.keihan.co.jp/traffic/valueticket/ticket/hiei-oudan/
しかし如何せん時間が早すぎてしまい、
こちらも始発から2本目の普通電車で、
とことことゆっくり出町柳駅を目指します。
普通電車で一眠り舟を漕いだら、
楠葉駅で後から来た急行電車に乗り換えます。
出町柳駅でこの一両編成のワンマン電車、
叡山電車に乗り換えました。
07時14分に八瀬駅に到着しました。
意気揚々とケーブルカー乗り場に行ってみれば、
なんと始発は、うげぇ、、
09時00分とか。。。。(;´・ω・)
あたしゃ、ここで、
1時間40分どうしたらいいつーのさ。。。
比叡山、朝遅過ぎぢゃね・・・!?
そんなことを猫にボヤキしばらく戯れて遊ぶも、
猫もすぐに飽きてしまい、
ぷいと尻尾を向けて行ってしまった。
しゃーない、しゃーない、
これも仏様の思し召し。
それでは京都・八瀬観光と致しましょう。
紅葉の名所、無量寿山光明寺瑠璃光院に行ってみるも、
この通り山門は閉まっていて、
周囲にはぐるりと野暮な電気柵。
そうそうここは春夏それぞれ、
二ヶ月しか公開していないんだった。
そもそもこんな時間じゃまだ開いてないか。。。
しばらく高野川の清流の畔で、
ゆっくりと時間を過ごしました。
さてここ「八瀬」の地名は、
壬申の乱で背中に矢傷を負われた、
大海人皇子(後の天武天皇)が、
「八瀬の釜風呂」で傷を癒されてより付いたとか。
元々は「矢背」だったんだねぇ。
おっ、ようやく待ちに待った、
ケーブルカーの始発がやって来ました。
こちらのケーブルカーも、
高野山の南海鋼索と同様に、
京福電気鉄道の鋼索線。
高低差は561mは日本最大だそうですが、
待つこと1時間40分、
乗車時間たったの9分の1.3 km。(;'∀')
ここですぐに連絡するロープウェイへ。
こちらも京福電気鉄道の運営のようです。
全長はわずか486mで所要時間もたったの3分。
しかしその眺望はとても素晴らしい。
ロープウェイ比叡山頂から見る、
湖面の光る琵琶湖の美しさは言葉にならない。。
しばらく歩いて比叡山山頂の、
このガーデンミュージアム比叡にトウチャコ。
はいはい、またですかそうですか。
バスは40分待ちの10時00分が始発、
このガーデンミュージアム比叡も10時00分の開園。
しゃーない、しゃーない。
黙って大人しく40分待って、
ようやくシャトルバスに乗車。
さて比叡山延暦寺は大きく分けて、
根本中堂や大講堂、法華総持院のある東塔地域、
にない堂や釈迦堂、浄土院のある西塔地域、
そして一番北にある円仁の開いた横川地域と、
三つの地域に離れ分かれています。
色々な推奨コースがありますが、
ワタシはまずは一番奥の、
横川地域から戻るコースを選択。
途中、峰道バス停に立つ、
巨大な伝教大師尊像に車窓からご挨拶。
空海の銅像はよくあるけれど、
最澄の銅像は初めて見たかもしれない。
シャトルバスで横川地域入口に到着しました。
横川と書いてヨカワと読みます。
慈覚大師円仁が開き、
後に元三大師良源が整備したと伝わります。
横川地域のシンボルである、
朱塗りの横川中堂の下を素通りして、
元三大師道を進み、
まずは元三大師御廟へ。
第十八代天台座主で、
鬼に化してまで疫病神を払ったという、
厄除け大師で有名な、
慈恵大師良源のお墓、元三大師御廟です。
御廟の後ろの丘の上に墓所があります。
墓石は、無縫塔・卵塔ではなく、
このスーパーマリオの、
1upキノコのような形状。
元三大師ほどのビッグネームにしては、
とても質素な墓石でした。
続いて横川中堂の奥に位置する、
良源の住坊跡に建つ元三大師堂。
四季それぞれに法華経の講義が行われるので、
四季講堂とも呼ばれています。
門前には元三大師が考案したということで、
おみくじ発祥之地碑が建っています。
元三大師堂から恵心堂に向かう途中、
「道元禅師得度の地」という案内を見つけて、
ついつい谷に続くこの石段を降りてしまいました。
この下り上りが案外きつくてきつくて、
とても涼しい比叡山ですが、
一気に汗だらだらに。。。( ノД`)
さて、元三大師良源の弟子の、
あの恵心僧都源信が、
かの「往生要集」を執筆した跡という恵心堂。
現在の建物は坂本の別当大師堂を移築したもの。
名誉を好まず僅かたった一年で、
権少僧都の位を辞退したという源信。
あの「往生要集」こそが、
日本の浄土信仰を生み出した礎となりました。
晩年もこの恵心堂に隠棲し、
浄土思想の確立と研鑽したという源信ですから、
墓もすぐ近くにあるものと思っておりましたが、
どうやらこの案内によりますと、
この山道を500mの13分。
往復すれば1km約30分以上となりますが、
ここでワタシが行かないはずはありません。
えっちらおっちらトウチャコすると、
最後はこの急な石段のオマケ付き。
Σ( ̄Д ̄ )
恵心僧都源信の墓所です。
墓石は師と同じ1upキノコタイプ。
いや師匠が1upならば、
弟子はデフォのスーパーキノコか。
さてさて横川地域を大きく周遊して、
中心の横川中堂に戻って参りました。
信長の焼き討ち後の慶長九年(1604)再建で、
つい昭和十七年(1942)まで、
淀殿が寄進したものが残っておりましたが、
なんと落雷で焼失してしまいました。
現在のものは、昭和四十六年(1971)に、
伝教大師最澄1050年遠忌に再建された、
鉄筋コンクリート造り。
写真撮影禁止の貼紙が、
どこにも見当たらなったので失礼しました。
堂内にびっしりと奉納された観音像が並びます。
そして落雷の際にも奇跡的に救い出された、
横川中堂の本尊は、
平安時代末期の重文・聖観世音菩薩。
ちょっと遠いので手元の資料の写真を載せます。
ふくよかお顔立ちで三角の宝髻がとてもお似合い。
新西国三十三ヶ所霊場の第十八番札所ですから、
またいつか伺って納経し御朱印を頂戴します。
さて横川地域から、
再びシャトルバスに乗り、
西塔地域へ参ります。
親鸞の修行の地を過ぎると、
この渡り廊下でつながった、
右・法華堂、左・常行堂はいずれも重文。
昔、武蔵坊弁慶が、
この廊下を担い棒にして担いだとかで、
総称が「にない堂」と呼ばれています。
てか、担う力よりも、それに耐えうる、
渡り廊下の建築構造の方が凄くね??
にない堂の廊下をくぐり石段を下りると、
この釈迦堂(転法輪堂)も当然重文。
これは信長の焼き討ち後に、
秀吉により園城寺(三井寺)の、
弥勒堂を移築させたもので、
山内で最も古い鎌倉初期の建築物。
釈迦堂の左後方から山道に入ると、
こちらも案外険しい上り下り。
あやうく道に迷いそうになったところで、
道標のある「一隅を照らす森」という、
この山間の小さな広場に出て一安心。。。
ここを右に進むとこの弥勒石仏。
この石仏の痛々しい破損状況は、
やはり信長の焼き討ちの被害とか。
そして右側に進むとこの改修中の相輪橖。
明治二十八年(1895)の再建ですが
塔内には法華経、大日経などが納められていて、
元慶二年(878)にはこの相輪橖と法塔が並存していたとか。
橖の正面には平安時代以来刻まれてきたと考えられる、
弘仁重一年(820)最澄撰の銘文が刻まれています。
地上高は11.65m。
さて非公開の居士林の前を通って、
一旦、釈迦堂前に戻り、
また、にない堂の廊下をくぐって、
西塔地域入口を通り過ぎ、
東塔地域方面の途中にある、
浄土院に出ました。
伝教大師最澄の墓所である、
御廟の前に建つ浄土院。
十二年籠山行の侍真僧が、
塵一つ雑草一つない「地獄掃除」をして、
高野山の弘法大師空海の奥之院御廟同様、
一日二回、食事を配膳をしているとか。
非公開の伝教大師御廟を外から仰ぎ見ました。
朱塗りの廟に旧字体「伝教」の額が見えます。
常香炉は昼夜絶やすことなく、
左右を沙羅双樹と菩提樹に守られているとか。
さて西塔地域から東塔地域へは、
シャトルバスに乗らずこの参道を歩きます。
これまたかなり険しくて険しくて、
一段の高低差が50〜60cmを越える場所もあって、
このデカイ図体のワタシが、
両手をついて登る場所もありましたが、
途中、東塔地域から西塔地域に向かう、
ハイヒールのお姉さんとすれ違ったけど、
あの子大丈夫だったのかなぁ。。。
どうにかこうにか、
到着した東塔地域は、
この法華総持院の裏手でした。
正面から見て左が東塔、
右が阿弥陀堂で、
総称が法華総持院。
東塔はやはり信長の焼き討ちで焼失し、
四百年ぶり昭和六十二年(1987)に、
落成した復元ですが、
上部には仏舎利、法華経千部、
般若心経五百万巻、
百万遍の念仏名号が納められているとか。
阿弥陀堂は昭和十二年(1937)、
比叡山開創法要時の再建。
法華総持院から大講堂方面へ向かう途中右、
小高い丘の上にあるのが戒壇院。
最初のものは最澄の悲願で、
死後七日後に勅許を受けて、
天長四年(827)頃の建立。
現在のものは延宝六年(1678)再建の重文。
年に一度の円頓受戒だけの開扉ですが、
中を覗き込むと石造の戒壇が築かれていました。
さてそれでは一旦、
多くの参拝客が最初に入る、
延暦寺バスセンター方面に出て、
宝物館である国宝殿に入ります。
正直なところ、重文は数多くあれど、
国宝はあまり数がないこちら。。。
なのになんで「国宝殿」なんだろうと、
不思議に思っていたら、
最澄のあの言葉から名づけられたものなんですね。
国宝何物 国宝とは何物ぞ。
宝道心也 宝とは道心なり。
有道心人 道心あるの人を、
名為国宝 名づけて国宝となす。
故古人言 故に古人言く、
径寸十枚 径寸十枚、
非是国宝 これ国宝に非ず。
照千一隅 一隅を照らす。
此則国宝 これ即ち国宝なり。
→ 「国の宝」について - 元【東京】江戸御府内八十八ヶ所順打ち巡礼記【遍路】
ここではあのとってもチャーミングな、
重文・千手観音菩薩にお逢い出来てとっても幸せ。
他の展示についてはこちらの公式サイトをどうぞ。
→ 国宝殿 | 境内案内 | 天台宗総本山 比叡山延暦寺 [Hieizan Enryakuji]
さてこの国宝殿の前には小高い塚があり、
頂上にこの小塔が建っています。
これが平和の塔・元亀兵乱受難者鎮魂塚。
平成四年(1992)に建立された、
信長の焼き討ちの慰霊碑です。
再び東塔地域の境内の中心に戻り、
この大講堂に参りました。
この後にお参りする予定の国宝・根本中堂と、
同時期に再建されたものは、
昭和三十一年(1956)に焼失し、
現在のものは麓の坂本にあった、
寛永十一年(1634)建築の、
賛仏堂を移築したもので重文。
ここでとても不思議だったのが、
本尊の大日如来と並び、
法然・親鸞、栄西・道元、日蓮他の、
木像が並び祀られていること。。。
ここ比叡山出身だからといって、
今や他の宗派の祖師を祀るという太っ腹。
まるで浄土宗の寺院に親鸞が祀られていて、
古義真言宗の寺院に、興教大師覚鑁が、
祀られているようなものじゃないですか?
この辺りが比叡山延暦寺が、
「日本仏教の母山」と呼ばれる所以なんだろうなぁ。
ちな、山内にずっと鳴り響く鐘は、
この鐘楼の「開運の鐘」の音。
さてさてやって参りました、
現在、比叡山内で唯一の国宝・根本中堂です。
最澄が最初に創建したという、
一乗止観院・比叡山寺のあった場所で、
何度も焼失と再建を繰り返しますが、
現在のものは徳川家光による寛永十九年(1642)の落成。
実は回廊は重文です。
この先は撮影禁止なので、
入口から見た根本中堂と、
千二百年以上燃え続けているという、
不滅の法灯は手元の資料の写真です。
堂の内部は内陣・中陣・外陣と分かれ、
中・外陣は板敷で、内陣は外陣よりも、
3m低い石敷という天台宗様式の特徴。
向かって左は最澄、右に毘沙門天。
中央本尊・薬師如来はお前立ちで、
御簾の中の本尊は東塔北谷の霊木を、
最澄が自ら刻んだもので秘仏。
この前に釣灯篭が三つあり、
不滅の法灯がゆらゆらと揺れています。
さて、根本中堂の前では、
本日初の「山の日」ということで、
比叡山延暦寺、日吉大社が、
神仏合同で報恩祈願祭を行ったようです。
書はそれぞれ「山王」「御山」と。。。
感想はすみません、「・・・。」で。
根本中堂の前の急な石段を登ると、
文殊楼に辿り着きます。
石段を登り終えて見下ろす、
根本中堂の息を飲む美しさ。
文殊楼は昇楼することが出来ます。
(当然、内部は撮影禁止です。)
かなり急な梯子のような階段なので、
お年寄りやお子様には注意が必要。
文殊菩薩の周りには所狭しと、
合格祈願の絵馬が掲げられていました。
さて時刻はもう午後二時半過ぎ。
いつもながら神社仏閣を巡る間は、
腹は全く空きませんが、
この萬洋堂の地下に、
麓の坂本の蕎麦の老舗、
「延暦寺ご用達」の、
鶴喜そばの支店(?)がありましたので、
ちょっと軽く一手繰り、
門前そば(780円)。
こりゃ、なかなか美味かった。
さて帰りは日本一の長さという、
坂本ケーブルで帰ります。
この坂本ケーブル延暦寺駅からの眺望も、
本当に素晴らしい絶景でした。
通称、比叡山坂本ケーブル。
こちらも正式名称は長く、
「比叡山鉄道比叡山鉄道線」。
途中に二駅がありトンネルもある、
路線距離2.0km、最大勾配333‰、
高低差484mで、所要時間11分。
またケーブル延暦寺駅、
ケーブル坂本駅の両駅舎は、
国の登録有形文化財。
本当は途中のもたて山駅で降りて、
紀貫之卿墳墓をお参りしたかったんだけど、
残念ながらもう時間切れ。。。
無事、坂本ケーブル坂本駅に到着しました。
下界はかなり蒸し暑いデス。
ここからは江若バスで、京阪坂本駅まで、
比叡山横断チケットで乗れるんですが、
もう一つの目的地の日吉大社まで歩きます。