元【東京】江戸御府内八十八ヶ所順打ち巡礼記【遍路】

習志野在住紀尾井町勤務の千葉都民。神社仏閣・歴史散歩、カメラ、ロードバイクが趣味。ラーメン(二郎京成大久保店ホーム)・蕎麦が好物。

【関東第二十八番】星野山 無量寿寺 喜多院 (川越大師不動尊) 〜慈眼大師天海像 その二・天海僧正墓碑〜

宗派 天台宗
本尊 阿弥陀如来
三十六童子 虚空護童子
350-0036 川越市小仙波町1-20-1
公式サイト http://www.kawagoe.com/kitain/


慈眼大師天海像 → その一





さてさて折角はるばる、
小江戸川越まで来たのですから、
掃苔部&元お参らーずの、
ワタシとタヤパンには、
歴史探訪は欠かせません。
川越の神社仏閣といえば、
喜多院は外せませんが、
今回はスルーして、
関東三十六不動霊場の、
二つの札所を巡ろうと思ったら、
そもそもその内の一つが、
喜多院でした。(´∀`)




星野山喜多院  
天海像




天長七年(830)淳和天皇の勅命で、
慈覚大師円仁が建立した無量寿寺は、
永禄年間(1558 - 1570)頃までは
北院・中院・南院の三院があったそうですが、
寛永十年(1633)に中院のあった場所に、
仙波東照宮が建てられた為に、
中院は200m南方に移動して、
今も天台宗別格本山として現存しています。
南院は明治の廃仏毀釈で廃院となり、
その一角には数十基の、
石塔、卵塔が残るのみです。
慶長四年(1599)、
この銅像慈眼大師天海が、
第二十七世住職として、
入寺した際に”北院”を、
現在の”喜多院”に改めたとか。
そして山門ですが、
こちらは国の重文。
寛永九年(1632)に、
その天海により建立されたもので、
寛永十五年(1639)の川越の大火を免れた、
喜多院では現存する最古の建物。





境内案内  





ブログに過去記事がないので、
おそらく14,5年ぶりの参拝です。
国指定重要文化財が目白押しの境内。
さて、どこからお参りしよう。




多宝塔




この多宝塔は、
元々は寛永十六年(1639)、
山門と日枝神社の間にあった、
古墳の上に建立されたものとか。
移転と修復を繰り返している為、
「埼玉県指定有形文化財
の、登録に留まります。





慈恵堂




喜多院の本堂である、
この慈恵堂は、あの元三大師、
慈恵大師良源を祀る堂宇で、
こちらも国指定重文。
大師堂とも潮音殿とも呼ばれています。
中央に慈恵大師、
右に不動明王を中心とした、
五大明王が祀られていました。




拝観案内



拝観料を納めると、
この重文の客殿、書院、庫裏、
そして渡り廊下から、
慈恵堂の中にお参りすることが出来ます。




客殿「徳川家光誕生の間」
湯殿・厠
書院「春日局化粧の間」



内部は撮影禁止なので、
手元の資料の転用で失礼します。
川越の大火で多くの伽藍を焼失後、
徳川家光の命により、
江戸城紅葉山御殿の一部を移築したものが、
ここに今に残る客殿、書院、庫裏で、
客殿は寛永十五年(1638)の建立。
徳川家光誕生の間」があり、
写真の湯殿、厠も現存しています、
書院は寛永十六年(1639)の建立。
こちらには「春日局化粧の間」があります。



紅葉山庭園  遠州流庭園




客殿の南側には、
江戸城内紅葉山を模したという、
紅葉山庭園があり、
北側には遠州流の庭園があります。




五百羅漢




「日本三大羅漢」の一つに数えられる、
この五百羅漢も拝観料に含まれます。
天明二年(1782)から文政八年(1825)、
約半世紀にわたって建立されたもので、
五三八体の石像が鎮座します。
喜多院七不思議の一つに、
深夜、羅漢の頭を撫でると、
一つだけ温かいものが必ずあり、
それは亡くなった親の顔に似ている、
という伝承があるそうですが、
深夜にお参りが不可能な現代では、
確かめようもありません。




釈迦如来坐像・文殊普賢両菩薩
阿弥陀如来坐像  地蔵菩薩坐像




さて五百羅漢の中心には、
獅子にのる文殊菩薩
象にのる普賢菩薩を従えた、
坐像の釈迦如来
その左右には阿弥陀如来
地蔵菩薩がおわします。



羅漢(牛)  羅漢(蛇)
羅漢(龍)  羅漢(馬)
羅漢(兎)



干支、十二支を抱えた羅漢たち。




羅漢(眼鏡)  羅怙羅尊者のように胸から仏が出現した羅漢



ハンドスピナーのような、
眼鏡をかけた羅漢、
さらには羅怙羅尊者のように、
胸から仏が出現した羅漢と、
実にユーモラスで様々な、
ファイブハンドレッドラカンズの面々。




ささやき合う羅漢二人



何やらささやき合う声が、
今にも聞こえてくるようです。




慈眼堂  歴代住職墓所





慈眼大師天海を祀る、
この慈眼堂も重文で、
正保二年(1645)建立。
天海僧正の木像が、
安置されているそうですが、
覗き見るも厨子は閉じていました。
この慈眼堂の奥に、
歴代住職墓所があり、
中心に天海僧正墓碑があります。
天海の墓はこの他、
日光の輪王寺の慈眼堂、
大津市坂本の慈眼堂、
また元の東叡山寛永寺の境内で
今は上野公園内の一角に、
遺髪を納めた毛髪塔があります。




鐘楼



この慈眼堂の東の鐘楼門は
国指定重文ですが、
建立年代がはっきりしていないとか。
寛永十五年(1639)の川越の大火の前、
寛永十年(1633)、
最初の仙波東照宮建立の際に、
鐘楼門が建立されたという、
記録があるそうですが、
その当時は東照宮は、
今の慈眼堂の場所にあったそうで、
現在地への移転再建には、
特に鐘楼門再建の記録もないことから、
これがその川越の大火の焼失を免れた、
寛永十年(1633)の建立の、
可能性もあるそうです。




第二十八番御朱印




いただきました関東三十六不動、
第二十八番の御朱印でございます。
しばらくご無沙汰しているうちに、
童子のシールが付くようになり、
300円から400円に、
値上げなさったようです。