宗派 天台宗系単立
本尊 千手観音・十一面観音・聖観音
523-0808 近江八幡市長命寺町157
琵琶湖一周サイクリング(ビワイチ)
初日→ 1、2、3、4
二日目→ 1、2、3
飲食店に釣られて来た門前ですが、
姨綺耶山長命寺は、
西国三十三ヶ所観音霊場の、
第三十一番札所です。
昔の人は第三十番札所の、
竹生島宝厳寺から、
船で参詣したとか。
いつかまた写経納経で、
出直すことにはなりますが、
やっぱりお参りしてみたい。
この長命庵の後ろから上ると、
石段はなんと八百八段とか。
ゾウはノーサンキューだそうで、
ワタシ一人で挑戦しましょう。
さて石段を上り始めたのは、
13時50分。
石の大きさがバラバラで、
整っていないので、
かなり上り辛いデス。
程なく宿院の妙覚院があり、
一、二、三、四と石段を、
指折り数えた訳ではないので、
もう半分くらい来たのかな?
なんて思ったりもしましたが、
やはりまだ序の口でした。
上には全く何も見えません。
上にも下にも何も見えず、
足は攣りそうだし、
蚊に刺されてボコボコだし、
戻るに戻れず、
泣きたくなった。
途中こんな?な門があり、
果たしてこれがもうすぐ、
伽藍近くの合図なのか、
淡い期待を抱くワタシ。
しかし進めども進めども、
上にも下にも何も見えぬまま。
絶望と疲労と足が痒いの三重苦。
石垣らしき痕跡があったり、
漆喰の白壁があったり、
ここも昔は城のような、
役割があったのかもしれない。
ようやく車で来た人の、
駐車場のすぐ近くに達しました。
「聖徳太子礼拝石」
と、ありますが、
詳しい説明はありません。
この冠木門をくぐれば、
伽藍は目と鼻の先です。
ようやく到着しました。
長命寺の伽藍下。
第十二代景行天皇の世に、
武内宿禰がこの地の柳の木に、
「寿命長遠諸願成就」
と、彫り長寿を祈願したところ、
宿禰は三百歳の長命を保ったとか。
その後、聖徳太子がこの地に赴き、
宿禰が祈願した際に彫った文字を発見。
すると白髪の老人が現れて、
その木で仏像を彫り、
安置するよう告げます。
太子は早速十一面観音を彫って安置。
太子は宿禰の長寿にあやかり、
長命寺と名付けたとか。
参拝すると長生きするそうです。
(聖徳太子は満48歳で亡くなりますが...)
本堂は重要文化財で、
入母屋造・檜皮葺き。
大永四年(1524)の建立。
三重塔も重文で、
本堂の東側の丘の上にあります、
こちらは慶長二年(1597)の建立。
内部は非公開ですが、
初重に須弥壇があり、
桃山時代の胎蔵界大日如来と、
鎌倉時代の四天王像を安置するとか。
本堂と三重塔の間は、
宝形造檜皮葺きの方三間の小堂、
護摩堂があります。
これまた重文で、
慶長十一年(1606)の建立とか。
さて本堂内、
須弥壇中央には、
秘仏本尊の厨子があり、
左に重文の毘沙門天立像、
右に不動明王立像が立ちます。
厨子の中の本尊は、
「千手十一面聖観世音菩薩三尊一体」
で、いずれも秘仏ですが重文で、
中央が千手観音像、
右に十一面観音像、
左に聖観音像が安置。
千手観音像は像高91.8 cmで、
一木割矧造、素地截金仕上げで、
平安時代末期の作と推定。
十一面観音像さ像高53.8 cmで、
千手観音像より古く、
10世紀ないし11世紀の作と推定。
そもそもはこちらが当初の、
本尊であった可能性があります。
聖観音像は像高67.4 cmで、
鎌倉時代の作と推定されています。
絶対秘仏ではなく、
最近では花山法皇の、
一千年忌を記念して、
平成二十一年(2009)の、
10月1日から10月31日の間、
開扉されたとか。
昭和二十三年(1948)以来、
六十一年ぶりの、
ご開帳だったそうです。
本堂から見下ろす琵琶湖が絶景で、
本当に八百八段上ってヨカッタ。
(↑この時には下りることを忘れてる)
本堂のすぐ西側に建つ三仏堂は、
入母屋造檜皮葺きで丹塗の堂。
永禄年間(1558-1570)頃の建立。
寛政五年(1793)に改造されているとか。
堂内に釈迦・阿弥陀・薬師の、
三仏の立像が見えました。
三仏堂の西には渡り廊下があり、
護法権現社の拝殿があります。
三仏堂と同じく入母屋造檜皮葺きで、
永禄八年(1565)頃の建立と推定。
本殿は一間社流造で江戸時代後期の建立。
祭神は武内宿禰です。
如法行堂は、
勝運将軍地蔵尊、
智恵文殊菩薩、
福徳庚申尊を安置するお堂です。
鐘楼も重要文化財で、
境内西方の高い位置にあります。
入母屋造檜皮葺きの、
重層、袴腰付き。
慶長十三年(1608)の建立。
内部の梵鐘は、
鎌倉時代の鋳造と、
推定される古鐘とか。
本堂や鐘楼の裏には、
「修多羅岩」や
「六所権現影向石」など、
巨岩が露出していて、
巨石信仰の名残なんだとか。
さあ、ゾウが待っているので、
そろそろ下界に下りようか。