祭神 面足尊・惶根尊
283-0021 東金市東中934
関寛斎の生家、吉井家の庭先に、
この面足神社があります。
おそらく寛斎の産土神にあたる神社です。
「あい・永遠に在り」では、
戊辰戦争の戦地に向かう寛斎の軍服に、
あいがこの神社の御守を縫い付けます。
また「評伝・関寛斎」では、
写真入りで製錦堂学校の生徒達が、
授業の合間に祈りを捧げであろう。
と、ありますが、
関家=製錦堂はずっと西の、
前之内になりますので、
著者の合田一道さんは、
生家と養子先を、
混同なさっているのかもしれません。
ともかくこの辺りには、
面足神社が沢山あるんです。
このオモダルとアヤカシコネの、
兄妹を祀るこの面足神社。
『古事記』では、
淤母陀琉神、阿夜訶志古泥神、
『日本書紀』では、
面足尊、綾惶根尊と、
それぞれ表記しておりますが、
神世七代の第六代の神で、
完璧な男女の人体を神格化した神様で、
転じて男女性器崇拝にも通じ、
また神世七代の六代目ということから、
第六天魔王の垂迹であるとされて、
第六天神社でも祀られる男女神。
なぜこの辺りで信仰されているのか?
理由は不明です。
参道右手この、
「鞘殿弊殿拝殿新築竣工記念碑」
が、あります。
これによるとこの面足神社は、
第六十九代後朱雀天皇の世の、
長暦年間(1037-1040)の勧請で、
(×長歴→〇長暦)
延宝七年(1679)の再興とのこと。
手水舎の手ぬぐいは、
吉井家の寄進でしたが、
残念ながら水は出ませんでした。
鞘殿弊殿拝殿新築竣工記念碑によれば、
あくまで「鞘殿」だそうなので、
拝殿と幣殿の先にあるのは、
鞘殿であっておそらく中に、
小さな本殿が納められているのでしょう。
さて水田を貫く道をかけ走り、
寛斎の養子先となった関家、
妻あいの実家・君塚家方面へ向かいます。
#関寛斎翁之像 #関寛斎の生家 #面足神社 #常覚寺 #関家墓 pic.twitter.com/LWWTEixMZd
— makoto-jin-rei@元・【東京】江戸御府内八十八ヶ所順打ち巡礼記【遍路】 (@makotojinrei) 2021年4月25日