寛永通宝・背文

背文




お遍路停止中、二日連続の古銭紹介で申し訳ありません。
今日は、私の大好きな「背文」の紹介。



そもそも寛永通宝は、寛永13年(1636)に生産を開始しました。
このころのものを「古寛永」と呼びます。裏は無地です。
しばらく中断されていた鋳造が寛文8年(1668)、亀戸においてて再開されます。
こちらがこのコイン。以後、「新寛永」と呼びます。
豊臣秀吉の大仏、地震で倒壊した京都方広寺の大仏を鋳潰して鋳造したと伝わります。
そのため「大仏銭」とも呼ばれていますが、
裏に寛文の「文」を刻んでいることから「背文銭」と呼ばれています。
この後幕府は様々な「寛永通宝」を発行しますが、
コストを抑えた「鉄銭」は風化していますし、
他の「銅銭」は作りが雑で、鑑賞に堪えません。(後日一例を紹介します。)



現存数が多いので、実売価格は100円〜200円。
値段以上に価値ある一品です。
約150円で、430余年の歴史と秀吉の大仏の一部があなたの掌にぃぃ。
ほーら、欲しくなったでしょ?!


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