本尊 阿弥陀如来
宗派 浄土宗
112-0002 文京区小石川3-14-6
江戸三十三観音の第十二番、
伝通院 寿経寺さん。
「でんつういん」ではなく「でんづういん」と読みます。
伝通院とはそもそも、家康のおっかさん、於大の方の戒名。
この写真では分からないとおもいますが都内最大級の五輪塔です。
このお墓のために寿経寺を移転したことがこのお寺の発祥となります。
その後も徳川ゆかりの女性や男児が多く葬られ、
今もなお巨大な墓石が多く残ります。
他にも柴田錬三郎、沢宣嘉、杉浦重剛、佐藤春夫と、
多くの著名人の墓が並びます。
しかし、何度もお参りしているお寺に今日私がきた目的は
先日の約束の、
清河八郎とその妻・お蓮のお墓です。
清河八郎の本名は斉藤元司。
その後山形から上京したであろう斉藤家の方が現在は管理しているようです。
三基並ぶ墓石は、左からお蓮、八郎、斉藤家の順です
一番左、八郎逃亡中に獄死した遺体は
初め山谷の東禅寺に仮埋葬されたといいます。
ここへ移ったのは八郎の死後でしょうか。
墓石には「貞女 阿蓮 墓」と彫られています。
真ん中は八郎の墓です。
ここには山岡鉄舟が引取った首だけが埋葬されています。
胴体は初め暗殺された一の橋近くの寺に葬られたそうですが、
現在はその寺は不明です。
墓石は「清河八郎正明墓」とあります。
この斉藤家の墓石の入り口に、「山形縣斉藤家」が建立した、
八郎の墓を案内する碑があります。
「贈正四位〜」の文字は「郷土の誇り」なのでしょう。
八郎が集い結集し、新選組の前身となった浪士隊。
その結集の地をチープな歴史小説では「伝通院」と記しますが、
それは間違い。正しくはその塔頭の「処静院」です。
現在は廃寺になってしまいましたが、伝通院の門前に
その寺の「不許葷酒入門」の碑だけが残ります。