今時の若い兄ちゃんやら、姉ちゃんたら、
彼らに言わせればおしゃれやファッションの、
ほんの一部に過ぎないのなのかも知れませんが、
実に簡単に「タトゥー」ってやつを入れている人を、
やたらそこいら中で目にします。
「今時の若者」という表現にも抵抗はありますし、
自分も立派な親不孝者ですから、
「親からもらった大切な身体に」なんていう、
説教をするつもりもありません。
ただどうなんでしょう。
タトゥーを商売になさっている人もいらっしゃるので、
あまり営業妨害となるようなことは言えませんが、
まだまだ現代のこの日本に生活する上では、
若い人が、タトゥーや彫物を入れるということは、
おそらく将来、大いに後悔する可能性のほうが、
かなり高いのではないでしょうか・・・。
・・・曖昧な言い方ですみません。
よく、親が子供に対して「勉強しろ。」というのは、
子供の将来の「可能性」と「選択肢」を広げる為のものです。
逆に私は、若者が「タトゥー」を入れるということは、
若者の将来の「可能性」と「選択肢」を、
小さく狭めてしまうのではないかと感じているのです。
まず「歴史ブログ」として、
日本人の「皮下に墨を入れる」という行為について考えます。
まず魏志倭人伝には、
「男子無大小皆黥面文身」とあります。
つまり男性は大人、子供の区別無く、
顔や体に入れ墨を入れていたと思われます。
この魏志の倭人伝が正しかったとすれば、
当時は男性であることの、
象徴そのものでもあったのかもしれません。
この後、「日本書紀」の一部に、
蝦夷の男女が文身していたという記述があるそうですが、
古代から江戸中期までは、
日本における入墨・文身というものは、
ほぼ「刑罰」の手段の一つであることが多かったようです。
顔や腕などに入れて罪状を示し、
犯罪歴を公表する役割がありました。
額に「犬」の字や、
「盗人」の「ヌ」の字入れた例もあると聞きます。
さて、これを「江戸中期まで」と限定したのは、
この「江戸中期」以降より、
一部の「粋」であることを求める、
博徒や、鳶・大工、火消しといった職業の間に、
刑罰としての入れ墨ではない、
小粋な静物や、勇ましい絵柄をモチーフとした、
刺青・彫物を入れることが流行するのです。
この「博徒」達の流行が、
現代の暴力団系の刺青に受け継がれたものになるのでしょうが、
当時の流行としては、もっと広く様々な身分に広がっていたそうです。
これは一部の武士階級にも及び、
なんと大名にも彫物を入れた人があったとか。
ある意味、日本の歴史における、
刺青に一番理解のあった時代ではないでしょうか。
ただ「粋」を求める「彫物」流行と同時に、
明治まで、刑罰としての「入墨」も依然存在し続けます。
現在でも「彫物」を背負っている人に対して、
「入墨」という言葉を使うと怒られることがあるそうです。
ともかく明治以降は、
「入墨」という刑罰も廃止され、
「彫物」「刺青」は表向きには非合法とされ、
この「文化」は取締りの元に地下で脈々と受け継がれ、
現在に至ることとなりました。
そんな訳でつい最近までは、
多くの日本人が感じている「彫物」に対するイメージは、
「堅気(かたぎ)の人ではない」というものだったのですが、
最近、西洋風の「タトゥー」の進出で、
世代による「刺青」に対するイメージに、
かなり大きなギャップが生じているのかもしれません。
でもね・・・。
飽きたらすぐに取り替えられるファッションと違い、
これを消すというのは大変なことらしい。
近年、刺青除去手術が大幅に増え、
トラブルも続出しているそうです。
タトゥーを入れたい人も多くいれば、
タトゥーを消したいという人も増えているのも事実です。
それにまだまだ日本社会の多くの「大人」は、
「タトゥー」だろうがなんだろうが、
博徒の「彫物」か、刑罰の「入れ墨」と、
ほぼ同様にしてしか見ていないというのが現状です。
サウナや銭湯でも入場を制限されることもありますし、
会社によっては入社をも拒否されます。
事実、当社もそうなんです。
私は管理職ですから、
実務者の採用面接に携わることもあるのですが、
その面接のチェック項目の一つに、
「文身はありますか。」という質問があります。
「はい。」と返答されれば、
「申し訳ないけど、それ消して来て、また出直してください。」
と、受け答えることになっています。
あれは半年程前のことでしょうか。
モッチと、ある三十代前半の若者を面接していると、
この質問に小さく「はい。」という返答がありました。
驚きを抑えつつ、
マニュアル通りの受け答えをしたモッチに対し、
「無理です・・・。全身ですから・・・。」
・・・と、答えた、
後悔をいっぱいに湛えた、
彼の悲しい瞳が今も忘れられません。