祭神 倉稲魂大神
101-0041 千代田区神田須田町2-25-1
一見なんの会社かよく分からない、
小さな雑居ビルの小さな事務所の社長さん。
実は、とある業界では有名なフィクサーです。
政財界の有名人が、行列を作ってお参りするほどの、
日本裏社会の知る人ぞ知る大物ですが、
なぜかこんな私をかわいがってくれます。
とはいえこの不景気で、
当社への支払いに苦労しているのか、
今週の始め、突然私を呼びし出して、
こんな提案をされました。
社長「僕が、君にお客を紹介してやるから、
僕の支払いを安くしておくれよ。」
私「はぁ〜。えぇ。」
当事業所の当商品は、
贅沢品に数えられるもので、
経費削減が始まれば、
真っ先に見直される商品です。
この社長がおっしゃるほど、
そんなに簡単に売れるものではありません。
社長が紹介してくれたのは、
上場企業を含む16社。
そのリストの訪ねる先の宛名は、
ほとんど、社長さんばかりじゃん・・・。
突然伺って会ってくれる訳がありません。
・・・「面接強要」で警察を呼ばれそう。
実際多くの会社で、
腫れ物を触るような扱いを受けたものの、
経緯を社長に報告せにゃならないものですから、
全16社にはとりあえず伺います。
そんな訳で、今日は秋葉原の会社に伺いました。
電気街、オタクの町で有名な「秋葉原」という駅名は、
ちょっと神社仏閣に詳しい人ならばお分かりと思いますが、
火伏せの神である秋葉神社に由来します。
しかし現在、秋葉原に秋葉神社はなく、
秋葉原駅の開業とともに、
秋葉神社は台東区松が谷に移転しました。
しかし、この秋葉神社も、
本来元々、秋葉神社であった訳ではなく、
明治二年(1869)の大火の翌年、
明治三年(1870)に明治天皇の勅命により、
現在のJR秋葉原駅のある地に、
神火産霊大神、神水波能売神、神埴山毘売神と、
火・水・土の三柱を祀り、
「鎮火社」と名付けられましたものを、
火伏せの神と言えば秋葉大神であろうという、
庶民の思い込みから、
ついに本当に秋葉神社になってしまったものなのです。
そんな訳で、しつこいようですが、
秋葉原周辺には秋葉神社はなく、
神田川を挟んだ向こう岸に、
実はこの柳森神社があるのです。
徳川幕府が、江戸の鬼門(北東)に、
天海の構想で、東叡山寛永寺を建立しますが、
そのずっと昔の室町時代、
江戸城を最初に築城した太田道灌が、
やはり城の鬼門除けとして、
京都の伏見稲荷を勧請し、
多くの柳をこの地に植えたことが、
この神社の由来です。
その後様々な神社を合祀したようで、
まるでひっくり返した玩具箱のように、
小祠や碑が乱立しています。
一の鳥居をくぐると、まずは左手に、
この無数の富士講関係の石碑群。
どうやら浅間神社も合祀しているようで、
この多くの石碑が残っているんです。
その奥、力石もいっぱいです。
まあ、これは、あまり珍しくはありません。
さて、境内狭しと、
肩を並べるように建つ、
末社である小祠を紹介しましょう。
まず、これは「厳島大明神・三島大明神」。
水・海の部分の「まとめ」であると推定します。
この秋葉大神は、
明治以後に、勧請されたものではないかなぁ〜。
あの恵比寿の恵比寿神社に近いものではないでしょうか。
本殿の主祭神がお稲荷様なのに、
末社にまたお稲荷様である、明徳稲荷神社。
金比羅宮までも祀られています。
こちらは末社の中ではかなり大きな扱いです。
さて、多くの末社のなかの主役級は、
五代将軍徳川綱吉の生母、桂昌院が信仰していた、
高さ15cmの木像の「福壽神」です。
八百屋の娘から、将軍の生母となった桂昌院。
出世の象徴であり「多を抜く」というゴロあわせで、
この通り狸が、まるで神使となった次第です。
このお守りの親子の「おたぬきさん」は、
縁起物として、大変人気があるんだとか。
さて主役の本殿は、やはりお稲荷さんですから、
またまた神使は、おキツネさん。
ここでは狸と狐のコラボが展開されていますが、
日本昔話では、この両者って、
とっても仲が悪かったよね。あはは。
本殿左手にある高い神楽殿の下は、
どうやら近隣の企業の喫煙所となっているのか、
午後3時を迎えた頃には、
スモーカーがわんさと訪れておりました。
・・・煙いって。
← 二つのブログランキングに参加しております。
← よろしかったら応援クリックをお願い致します。