宗派 真言宗智山派
本尊 浪切不動尊
289-1326 山武市成東2551
今日から長男は「とある塾」の萩合宿。
朝一番で次男と一緒に羽田空港に送りました。
明日は萩往還を30kmを歩く長男。
オスグット症の膝が心配ですが、
とにかく悔いのないように頑張って来いと送り出しました。
一旦帰宅してかみさんを拾い、
そのままいつもの九十九里へと一泊。
恒例の千葉歴史探訪はなんとなく「成東」です。
さて、右手に第一目的地の浪切不動が見えました。
その左手の山は、間違いなく古城の址でしょう。
駅前の観光案内所で地図を貰ってみると、
やはりあの山は「成東城跡公園」とのこと。
歴史ウォーカーとしましてはガッツポーズです。
お寺に到着しました。
しかしながらこの通り山門は改修中。
う〜ん、残念。
しかし、この山の上にある本堂は立派です。
いいねぇ〜。まだまだ千葉にも見所は一杯あります。
石壇手前には、
真言宗寺院にはお馴染みの、
四国八十八ヶ所のお砂踏みと、
この弘法大師空海の石像です。
銅像はよくありますが、
石像は結構珍しいです。
この角度から眺め仰ぐ本堂は、
なかなかの迫力。
お前立の代わりか、
不動明王の銅像がいらっしゃいました。
こんなシチュエーション、
ご本尊は秘仏の場合が多いのです。
どうやらこの本堂のある小山は、
こんな溶岩性の岩がその礎になっているようです。
この房総が溶岩のあるような火山活動にあったのは、
遠い遠い古代のことです。
さて、石壇、あと半分で本堂にたどり着きます。
その途中にお堂があります。
観音堂のようです。
新上総国三十三観音霊場、
第三十二番札所で、
本尊は子育水子観世音菩薩で、
ぼけ封じ、良縁・子授にご利益があるとか。
堂内には絢爛豪華な"観音ズ"が、
ずらりと並んでいらっしゃいました。
あらまた斉藤一人さんの千社札です。
この人、千葉の古刹はコンプリートだね。多分。
さてもう少しで山の上の本堂。
右側通行でお願いします。(笑)
到着しました。
おおっ、いい景色。
次男はちょっとビビっています。
これがその証拠のビビり顔。
いや、この景色、お寺というよりも、
まるでお城の天守閣。
この本堂である浪切不動堂は、
元禄十三年(1700)、
明和三年(1766)、
明治四十五年(1912)、
昭和三十年(1955)の改修があるものの、
江戸時代初期の元和四年(1618)改築の歴史ある建築物。
ちょっとセンスの無い、
コンクリートの基礎石積工事は、
昭和四十九年(1974)にされました。
この堂内の本尊、浪切不動明王と、
制叱迦(せいたか)、矜羯羅(こんがら)の二童子は、
天平八年(736)の行基菩薩の彫刻とされています。
また中興となったのは、
その後にこの地に布教に訪れた、
弘法大師空海の大護摩の秘法による、
霊徳霊験によるものであるのだとか。
すげぇ〜カリスマ二人じゃん。
密壇奥をよく観ると、
お顔は隠れていますが、
お不動様がいらっしゃるのが分かります。
(クリックしてオリジナルサイズをご覧ください。)
本堂石段を降りて、境内左手のお堂に向かいます。
扁額は「不動院」とありますが、
どうやら上総国薬師如来霊場の札所のようですから、
お薬師様がこのお堂のご本尊なのかもしれません。
このお堂の手前にも、
剣に龍が巻き付いた倶利伽羅(くりから)不動と、
再び不動明王の銅像がありました。
このお堂の裏手には、
十一面観世音とその四隅に四天王、
左右側面に六地蔵、
前面に釈迦とその弟子達という、
おめでたいもの、大集合のこちらです。
いやいや参りました。(汗)
おやっ・・・、
こんな所にも、
乃木希典の「表忠碑」が・・・。
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