289-1324 山武市殿台393
公式サイト http://www.city.sammu.lg.jp/sisetu/rekishi/reki_frame.htm
伊藤左千夫といえば、「野菊の墓」ですが、
御府内八十八ヶ所第四十番札所の福聚山普門院さんにお墓がありました。
本所茅場町(現在の墨田区江東橋)で酪農牧場経営をしながら、
正岡子規に入門した歌人伊藤左千夫。
その出身はこの現在の山武市の成東近く、
上総国武射郡殿台村の豪農の四男で、
明治法律学校(現・明治大学)を眼病で中退します。
そんな訳でこの「山武市歴史民俗資料館」はほとんど、
「伊藤左千夫記念館」と言っても差し支えありません。
なぜかこの資料館の正面左には、
蒸気機関C58の217号の残骸のようなこんな部品。
あれ、C58-217って、
同じ千葉県内の旭市の中央公園に保存されているんじゃなかったっけ。
よく分からん・・・。
「野菊の墓」の政夫と民子の顔出し看板。
恒例の「どっちも次男」に合成しました。(笑)
歌人として代表作でもある歌の碑。
牛飼がうたよむ時に世の中の
あらたしき歌おほいに起る
これは移築ではない、ここに二百数十年を経た、
伊藤左千夫の生家です。
表札は「伊藤千歳」って、、、誰?。
現代人の目から見れば、
質素な建築物ですが、
こりゃ、かなりの豪農の豪邸ですよ。
家の裏には立派な蔵までもあり、
今でも中に文字通り様々な"収蔵品"がありました。
歌人でもあり茶人でもあった伊藤左千夫。
これは本所茅場町から移築された「唯真閣」。
うちのかみさんは、寂しい建物だと言っていましたが、
茶室としては、侘びさびのある、
なかなかのもんなんですよ、これ。
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